May 22, 2019

おそらく、何者にもなれない君へ

 

 読んでいた『インド夜想曲』のページを閉じたところで、おそらくかなりの確率で自分は何者にもなれないだろうなと思った。そう認めるところからはじめるべきなんだろう。かつて、わたしは脚本家を目指していた。もう、かつてと言ってしまっていいと思う。いま、自分のなかに脚本を書きたいという気持ちが驚くほどにない。そういうことだ。それは風化された希望であり、かつての夢なのだ。

 ただ、まとまった文章は書きたいなという気持ちはずっと持ち続けていて、それでも日々の仕事と生活に追われ、しだいに書く時間を失っていった。ここでコイツに容赦のない指摘なんかをひとつ。これはただの言い訳である。どれだけ忙しかろうと書く時間は作れたはずだ。不倫や浮気を愛好している方々が、「忙しくて連絡できなかった」と言っているのと変わらない。本気で取り組む気があれば絶対にわずかでも時間は作れる。浮気をしている時点で時間が相当にあり余ってるし。ずっと以前から思っていたが、不倫をする人はまちがいなく暇人だ。わたしの墓標にはそう刻んでほしい(墓地で嫌われそう)。

 かの澤穂希は――彼女はかのと言っていいほど偉大な人物だと思う――「人は楽な方楽な方へ逃げようとする」とどこかでコメントしていた。そのとおりだ。このブログを更新しなくなってから4~5年は脚本を書き続けていた。それ以降はブラー的に表現するなら、『The Great Escape』くらいまったくものを書いていなかった気がする。以前と変わらず、ときどきコピーライターの仕事をするくらい。楽な方へ逃げなかったかの澤穂希はサッカー女子W杯で優勝し、女子最優秀選手の称号であるバロンドールも受賞した。素晴らしい。彼女に惜しみのない拍手を。ちなみに現在のなでしこジャパンでは、個人的には以前から長谷川唯に期待している。攻撃的センスがあり、運動量があってよく走る。オシムに好まれそうな選手。最近プロ契約したらしい。あんなに活躍していたのに、まだプロ契約していなかったとは。女子サッカーを取り巻く環境はまだまだ厳しいらしい。

 話が逸れた。わたしはなでしこジャパンを応援しすぎな傾向にある。まあいいや。そんなわけで澤穂希にも長谷川唯にもなれなかったわたしは――プロ化という意味で――こうして10年振りにブログを再開しているというわけだ。そもそもブログの更新をやめたのも、ここに書いていると“ものを書いた感”が芽生えてしまい、脚本を書かなくなってしまうからだった気がする。脚本を書かなくなったいま、長らく放置されていたここを手入れして更新する正当な理由ができた。運動しなくなると筋力が落ちるの同じで、書かなくなると文章力が著しく低下する。イメージが沸かなくなる。スケッチでさえ書けなくなる。ものを書くことはそれなりにテクニカルな作業だ。ときどき更新することで、以前と同じ程度の技術と書き癖をまた取り戻せればと思っていたりする。

 前回、長い空白を経てブログを更新してみて、なんというか、文章を書くということは心地いいものだなとあらためて思った。だから、またここから書きはじめよう。たとえプロになれなくても書き続けることはできるわけだ。そうすることで、また何か新しい夢のようなものが芽生えるのかもしれない。一人称が「僕」から「わたし」になる年齢になっても、夢を見ることが許されないわけじゃない。

そんなわけで、今日からブログタイトルをじゃっかん変更しました。

 

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April 26, 2019

彼女が暮らした街へ会いにいく

 

 平日午前中の東京駅新幹線ホームは、予想していたよりも閑散としていた。ひとりで新幹線に乗り慣れていないわたしは、戸惑いつつも自由席に腰を降ろした。10年連れ添ってきた恋人が病気で入院をすることになり、術後回復するまでの生活も考慮し、実家の方にある病院で手術をすることになった。この10年、彼女と1週間以上――あるいは5日以上?――顔を合わさないことがなかったので、なんだかとても不思議な感じがした。

 新幹線は東京駅を離れ、これまでの彼女の歴史を逆にたどって走りはじめた。窓の外には青空が広がり、4月の入道雲が浮かんでいた。流れていく景色を眺めながら、耳元から流れるレディオヘッドの『High and Dry』を聴いた。誰にも聞かれていないのに言っておくと、わたしはレディオヘッドでは『The Bends』がいちばん好きかもしれない。

 いろんなものが後ろへ過ぎ去っていく。さまざまな建物、陽に映える緑や山々、連なる鉄塔、田園、年齢、かつての自分、夢とか希望とか。いつも仕事で移動する景色を眺めている半分旅行者の方々は、移動しない人に比べて生涯思考時間が長いのだろうかと思ったりした。新幹線は予定の各駅に停車しながら、彼女が暮らした街へ向かっていく。新幹線で止まるくらいだから有名な地名なんだろうけど、あまり移動しない生き物であるわたしには馴染みがなかった。知らない土地には知らない人々が住んでいて、それぞれの人生があるんだろう。願わくば、その日々が平和でありますように。

  彼女が暮らした街のホームにはじめて足を下ろした。大いなる一歩。辺りにはこれまでに彼女との会話で耳にしていた百貨店や駅ビルなどが建ち並んでいた。「なるほど、これがあのエピソードのところね」と思いなから、街を見渡しながら歩いた。病院への行き方は、あらかじめ彼女から詳細なメールとLINEが送られてきていた。東京を離れる前の彼女のいちばんの心配事は、わたしが迷わずに無事に病院まで来れるかということだった。 バスに乗って本を開いた。バスという乗り物は読書に向いているような気がする。紙面を照らす陽の光が心地いいというか。ふと目を向けると、まっすぐな桜並木が花びらを散らしていた。桜吹雪だ。『四月物語』的な美しい風景だったが、誰ひとり足を止めて見上げていなかった。というより、そこには誰ひとりいなかった。東京なら花見で大渋滞になるはずなのに。なんだかものすごく得をした気がした。

 運賃を払ったつもりが「そこは両替」と運転手に突っ込まれつつ、無駄に小銭を増やしてバスを降りる。駄菓子でも買うべきかもしれない。以前からうっかりすることを得意技にしているわたしだったが、最近はさらに拍車がかかった気がする。これが歳を重ねるということなんだろう。病院についたものの、彼女の病室の部屋番号がわからなくなり、とりあえずトイレにいった。なぜならトイレに行きたかったから。それからメールとLINEをあらためて確認するも、部屋番号の記載が見当たらないので――前に見た気がしたけど――彼女にLINEをした。ここで、彼女が世の男たちを評してよくする発言なんかをひとつ。「男の人ってなんであんなにものを探せないの? そこにあるのに」

  術後の彼女はまだ具合が悪そうだった。見舞いに来ていた彼女の母親に挨拶をして、手土産を渡す。病室は個室で清潔感があり、部屋としてはなかなか快適そうだった。翌週に退院して、実家で療養した後、来月くらいには戻れそうとのことでひと安心。 彼女の母親が帰ってから、普段のようにわたしたちは話しはじめた。術後の経過、病院までは迷わずに来れたのか、入院中に読む本は足りているか、部屋番号教えましたよね? 東京に戻ったらいちばん最初にどこへ何を食べにいくか。歩くのがいちばんいいと医師に言われているらしく、決して広くない室内を点滴をつけたままの彼女を支えて歩いた。

「歩くの遅いでしょ?」
「遅いね」
「なんか、わざわざここまで来てもらったのは申し訳ないと思うけど、いつも看病とかしてもらっているから、こういうのに付き合ってもらうのはぜんぜん悪いと思ってないかも」
「確かに。ぜんぜん大変な気がしない」

 病室を時計まわりに歩きながら、彼女と会話を続けた。ずいぶんと便利になったこの世の中では、会えなくてもさまざまな通信手段がある。それでも、結局のところ顔を合わせて話すのがいちばん大切であることに変わりはないんだろうと思った。面会時間が終わる頃になって、彼女の病室を後にした。ここからはまたひとりだ。かつてあれほどひとりが好きだったわたしは、ふたりでいることがずいぶんと当たり前になった。今でもひとりは好きだ。でも、きっと人はふたりのほうがいい。そう思えるようになった。

 夜の東京駅構内の人だかりは、彼女が暮らした街と比べると異常なほどの混雑だった。あまりにも人が多すぎる。みんな急いでいるし、道を譲らない。それでもどこかホッとするのは、やはりここがわたしのホームだということなんだろう。人が多い分だけ、多くの夢や希望があるのかもしれない。あるいは人が多い分だけ、悪意や不親切にあふれているのかもしれない。東京という土地には自分勝手でろくでもないやつが多い。それは、朝の満員電車に乗るだけで誰にでもわかることだ。

 それでもわたしはこの場所で、彼女が元気になって帰ってくるのを待っている。 

 

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January 30, 2008

書き続けるということ

 

 それは結局のところ、脚本的なリハビリなのだろうなと思った。

 脚本講座に通いはじめてから、「なんだかこの感じが懐かしいな」と思うことがよくある。なにしろ毎週課題が出るので、一週間のあいだ脚本のことを考えない日がほとんどない。職場での休憩時間にノートを開き、おそろしく汚い字でアウトラインを作り、とりあえずそこに入れたい台詞を書きつけ、枚数制限の中で収まるように構成を考える。耳元で流れる音楽はほとんど聞こえていない。そこにあるのは実在しない人物の言葉と行動だけだ。こういうふうに没頭している瞬間というのは懐かしくもあり、楽しくもある時間だといえる。

 講座にはとりあえず「脚本ってどんなものだろう」と通いはじめてみた人から、プロ化を目指している人までさまざまな顔ぶれがいる。とりあえずの方々は姿を見せなくなったり、出席しても課題に追いつかなくなってきているようだ。それはそうだろう、忙しく働いていたら毎週の課題はけっこうきつい。僕でさえぎりぎりなくらいだから。枚数的にはそれほど多くないが、毎週テーマが決まっているので、なんでも自由に書いていいというわけでもない。

 僕にとってはそれがけっこうおもしろい。自分だけだったらまず書かないだろういうテーマが出るし、物語を構成する上で欠かせない要素を毎回メインにして書かせることで筆力を上げさせるという狙いだと思われた。言われなくても知ってることから、「なるほどね」と思えることもあり、現時点では講座に通っていることが明らかにプラスになっているようだ。

 先日はいきなり、その場で数枚のシナリオを書いてくださいと言われ、手書きが嫌いな僕はかなりつらかった。与えられた時間の中でみんな同じテーマで書き、終わった人から帰れるという仕組み。時間ぎりぎりまで書く人がいれば、早々と書き上げていく人もいた。僕は残り20分くらいまで時間を使って書いたけど、それでも早い方だった。正直、やっつけだった感は否めない。

 翌週、それをひとりひとり音読し、挙手で誰が1位か決めるなどという簡易コンクール的な展開になった。はっきり言って、それを知っていたら僕は休んでいた恐れさえある。人前でしかも自分が書いた脚本を読むなんて自殺行為だ。狂ってる。ついでに言えばテーマは恋愛的なもので、さらに言わせてもらえば手書きなので構成の直しが面倒すぎて――久しぶりに消しゴムの存在を思い出した――仕方なく出した脚本だった。まあ、それはほかの人も同じだったんだろうけど。人前で自分が書いた恋愛的な台詞を読むところを想像してみてください。信じられますか?(ヴォネガット風)

 結果はかなり意外にも、20人くらいの人数の中で僕が小差で1位だった。誰も手を挙げなくても仕方ないくらいのデキだったのに。「えっ、こんなので?」と内心思ったが、冷静に考えれば周りには初心者も多かったんだろう。僕個人の感覚では及第点と思えるものを書いていた人は4人くらいしかいなかった。あとは声の大きさや音読の巧さもある。感情を入れて読んでいる人がいれば、緊張してうまく読めていない人もいた。うまく読めなかった人の中にもそれなりに悪くないものを書いていたり、時間を与えればもっといいものが書ける人もいたのかもしれない。そして、僕が思い切り棒読みだったのは言うまでもなく。声を張りたくもないのでマイクの目の前でぼそぼそと読んでいたという噂。いま思い出すと、僕に一票を入れた方々は前の方の席に座っていた人が多かった気さえする。

 僕自身が一票を入れた脚本には、ほかに誰も手を挙げていなかった。好みの問題なのかもしれない。その人が台詞を読むのを聞いていて、ひとつだけ「あっ、この台詞はあの時間の中で俺には思いつかないな」という台詞があった。だから一票というわけだったんだけど、そういう意味でもやっぱり台詞って重要だなと思ってみたしだい。

 なんというかまあ、やっぱり脚本を書くのっておもしろいよね。
 そんなわけで、僕はまだ書いています。

 

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October 23, 2007

終わりなき夜に

 

 あれから何ヶ月が過ぎた?

 半年。前回ここに書いてからもう半年が過ぎた。恋人は月々の支払い的な痛みによって早く眠りにつき、僕はこうして久しぶりに文章を書いている。月に一度のこの時期がやってくると、女の子は大変だなと思う。あと10分でまた鎮痛剤を飲んでもいい時間になるが、彼女を起こして薬を飲ませた方がいいのか、そのまま寝かせておくべきなのかと僕は考える。こういうことは、男にはよくわからない。でも痛くて起きるはめになるくらいなら飲んだ方がいい。僕はそう判断し、彼女を起こして薬を飲むように勧める。薬とグラスに入った水を渡すと、喉が渇いているのか彼女は水だけを飲む。「えっ、水だけ?」という言葉で意図を伝えると、彼女は薬を飲んで呟く。「ありがとう」

 いえ、どういたしまして。それから彼女が再び眠りにつくまで一緒に横になる。規則的な寝息がまた聞こえてくると、僕はその場を離れてベランダでタバコを吸う。もう10月か、と考える。何かを変えようとしないと何も変わらない。僕は最近、シナリオ講座に通いはじめている。このままだと書けなくなっていくような気がしたから。手に入らないものをただひとり願い続けていてもモチベーションは下がるばかりで、ここらで最初から学び直さなければならないと思った。

 詐欺まがい商法に遭っている僕の知人はこう言った。「脚本をやったり、役者をしたり、あと音楽やっている人たちと、僕がしていることはそう変わらないと思う。成功するのはほんのひと握りのひとだけだから」。詐欺まがいと一緒にされるのもどうかと思ったが、まあ確かに一理あるのかもしれない。彼はまとまった金銭を投資して、僕らは時間を投資する。うまくいかなければ、どちらも同じ損失だ。むしろ時間の方が取り返しがつかないという意味では痛手なのかもしれない。彼はコツコツ働いて貯蓄すればまたある程度の金を手にすることができるが、僕らはコツコツ生きたところでもう20代には戻れない。

 それでも、今年の後半から来年にかけては学ぶ時期だ。結果を求めるのはそのあと。幸いなことに僕にはまだやる気がある。彼女はときおり目を覚まし、言葉にならない何かを呟く。眠っている喉元がひくひくと小刻みに動いている。なんとなくそこに手を当てる。歯を磨き、ベッドの空いているスペースを探して横になる。それから僕はこう思う。


 求め続けているかぎり、それは終わらないのだと。

 

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April 25, 2007

短めに現状報告

 

 少しは仕事を増やしてみたいと思った。去年の暮れくらいに。世の中の職業事情で言えば、僕は恐ろしいほど自由時間があるタイプの生きものだったから。息がつまらない程度にはつづけて仕事があればいいなと。息がつまらない程度というあたりが、僕という人間の本質を表している気もするけど、とにかくまあ、それなりに仕事を増やしてみたかったわけだ。去年の暮れからこの四月までに、新しく仕事をくれた会社が3社。継続的に仕事をもらえるかどうかは別問題としても、それなりに悪くない成果なのかもしれない。だから、僕はまた売り込みの電話をかける。

 10割バッターの方は相変わらずで、おそらく僕らは悪くない時間を過ごしている。よく晴れた日には公園で横になって八重桜を眺め、雨の日にはカフェで向かい合ってコーヒーを飲んだり、恋人の部屋で音楽を聴いたりしている。ふたりともテレビに興味がないから、その箱から音声が流れることはほとんどない。煙草を吸いにベランダに出ると、背の低い住居がいくつも並んで見えて、大通りからは車の排気音が聞こえてくる。僕らは並んで街を見下ろし、「いい天気だ」とか「ちょっと寒い」とか「風が気持ちいい」とか当たり前の感想を述べて、その日一日がはじまったことを確認する。

 誰かと一緒に時間を過ごすうえで重要なのは、どうでもいいことと大切なことの感覚が近いことではないかと思う。それが近ければ、長く一緒にいても我慢する必要がないし、ストレスを感じることもない。僕らの関係性は秘密裏に進行しているので、普段の僕はまるでなにごともなかったように振舞っていたりもする。こういうことを書けるのもこのブログだけでmixiには書けない。いくらか面倒だなと感じることもあるけど、しばらくはこれでもいいかなと思っている。そんなわけで、海外で活躍する天才バッターのようにはいかないけれど、いまのところ僕らのボールはまだ緩やかに高く飛びつづけている。

 最後に隣のガキについて。小学生の頃からなんとなく成長を見守ってきた隣のガキは気がつけば高校生になっていたが、今日はマンションの通路で女の子を連れていた。それはどんなにがんばっても中1にまでしか見えず、ほぼ間違いなく小学生だと思われる女の子だった。エレベーター前で僕に挨拶したガキは、帰っていく小学生みたいな女の子に「またあとでね」と笑顔を向けていた。またあとで会うらしい。ふたりの関係性がひどく気になる。大丈夫なのか? 隣のガキ。

 

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April 03, 2007

帰ってきた10割バッター

 

 この春、僕は10割バッターになった。比喩的に。簡単に言えば、チャンスを見送るのをやめたということだ。いいボールが見えているのになぜ打たない? そう、僕は長らく見送り専門のバッターだった。打席には立つ。でも打たない。いいボールだ、それでも見送ろう。6割。うん、やっぱり見送っても平気じゃん。5割。くり返し。そんなふうにして自ら感情を抑えて打率を下げるのを得意技としていた。そういう意味では選球眼だけはやたら鍛えられた。これはいいボール。これは悪いボール。これはストライクと思わせておいてボール球。これはクセ球だけどじつは素直なボール。その他いろいろ。

 僕のバッティングポリシーは、「我慢ができるなら振るな」だ。本当にいい球であるのなら、無意識的に振りにいくはずだと。そして、僕は自分がフルスイングにいくとどうなるかをよく知っていた。まず、今までのように自分をコントロールできなくなる。普段が淡白キャラであるだけに、そいつが非常に腹立たしい。だから見送る。そんな自分を見たくないから見送る。そうすれば、僕はまた平穏でいられるというわけだ。

 そういう性質だけに、むしろ低い打率で手を打ったほうがいいのではないかと考えたこともある。でも、6・7割の打率で振りにいったところで、その後の打率が安定するのかどうかも疑問だった。もちろん上がるかもしれない。でも、一気に下がるのかもしれない。さっさと試合終了になる可能性があるなら、振りにいかないほうがいい。それはおそらく時間の浪費だし、どちらかが、あるいは両方が負傷するだけだから。我慢ができるのなら振らない。これはおそらく僕が歴史的失恋から学んだ人生哲学であり、自分の身を守る術であったのだと思う。

 いつからだったのか正確にはわからないけど、僕はまた打席に立っていた。困ったことに、今回のボールはとてもいい球だった。スイングした後のボールの軌道がイメージできるくらいに。もし僕に巧く打つことができたのなら、こんなふうに飛んでいくんだろうなと。それは高く長く飛びそうに思えた。打席に立って、そこまでイメージできることなんてなかなかない。だから僕は迷った。迷っていながら、打席に立っていることが心地良いことに気づいた。この時間を失いたくないのであれば、あとは振りにいくしかない。だから僕は自分と正面から向き合った。そこから都合のいい嘘を排除した。はっきり言って、僕はたいしたバッターじゃない。ほかの人から見れば退屈な試合なのかもしれない。きっとそうなんだろう。

 それでもこれは、ほかの誰でもなく僕らの試合だった。もはやこのまま見送りを続けることはできないように思えた。失う前から気づいているのに、失ってからそれをやっと認めるなんてうんざりだった。僕はすでに無意識的に振りにいきはじめていて、ひどく中途半端なフォームになりつつさえあった。このままいくとバランスを崩してしまいそうな気がした。どうせ自分をコントロールできなくなるのであれば完全に打ちにいったほうがいい。たとえ、巧く打てなかったとしても。

 その日、打席に立った僕は、自分のなかに眠っていた情熱を呼び起こしてフルスイングをした。素直に。ストレートに。観客は誰もいなかった。僕ら二人だけだった。打撃は柔らかな和音を響かせて返ってきた。それは僕の求めていた音だったと思う。その瞬間、たぶん僕は前より幸せになった。

 10割バッターがフルスイングをして、僕らのボールは飛びはじめた。着地点がどこになるのかわからないけど、高く長く飛んでくれればいいなと思っている。

 

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March 17, 2007

ひとり会議議事録

 

 角膜炎と血膜炎を併発した。弊社調べによれば、これはかなり厄介な症状だ。なにしろ目がひどく赤い。赤目プロくらい赤い。赤目プロを知らない人は「白土三平全集」でも読んでくれ。おすすめは「カムイ伝」かな。まあいいや。とにかく僕の右目はひどく赤くなっていて、秘められた何かしらの能力が覚醒したかのような仕上がりだった。レーダーに敵影なし。レーダーに敵影なし。

 午後になってだいぶ落ち着いたけど、腰痛が東洋医学的な一撃によって治ったと思ったら、今度は右目だ。最近の僕には異変が多発している。ひとり繁忙期なのかもしれない。あるいは、何かを変えるときがきているのかもしれない。

 慣れ親しんだスタイルを変えるのはなかなか難しい。で、僕はお得意の自分との対話をはじめた。自分と対話しながら、これからどうしたいのか、何をしたいのかと考える。ひとり会議。僕は年に何度かまとまった休みをとってこれをやる。テーマはそのときによってさまざまだ。最近では今月の頭にやった。変わっていると思われるならそれでもいい。とにかく僕はそれをやるわけだ。着席。遠慮のない意見を聞かせてくれ。僕と僕。俺と俺。僕と君。俺とあんた。どれにしたって、ふたりでひとりだ。隠しごとはナシにしようぜ。あんたのことは昔からよく知ってるからな。その癖もスタイルも。ここが見直しの時期かもしれないってわけだ。さあ、話し合おうぜ。時間はいくらでもあるからさ。

 イメージ。まずは想像することからはじめる。で、その景色のなかに身を置いてみて、どんな気分がするのかと考えてみる。なるほど、こういう感じか。それがそうなりうるかもしれない僕の姿であり、君の姿というわけだ。それから、得るものと失うものを秤にかける。バランス。どちらがいまの自分にとって大切であるのか。どちらが今後の自分にとって必要であるのか。賛成票と反対票。僕の場合は反対票の方があっさり受理されやすい。なぜなら、反対票であれば現状維持でいいから。賛成票の場合は厄介だ。あんまり考えたくないくらい厄介だ。だから、しばらくはそこから目を逸らす。目を逸らしてはいられない状況になるまでやり過ごす。やがてそのときが来てしまったら、僕は大抵こう思う。なるほどね、と。

 イメージが済んだら、自分の考えを整理して再確認するために書きはじめる。まずはノートを用意してくれ。ノートの種類はなんでもいい。コクヨとか、コクヨとか、コクヨとか、どれでも好きなやつを選んでくれ。僕はべつにコクヨの回し者ではない。うん、そのへんで売ってるやつでいいよ。ペンを手にしたら議事録的にひとり会議のもようを書きはじめる。僕の場合なら、今まさに書いているような文章を書きはじめることになる。でもまあ、文体はどんな感じでも構わない。書き終わったら、それを読み返してみる。それでいくらかは自分の現状を再確認することができるはずだ。それでもすべての考えはまとまらないだろう。人は悩み、迷う生きものなので。「人間は考える葦である」って言ったのは誰だっけ?

 だから僕は考える。また、考える。

 

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January 26, 2007

ずっとそれを見て育った

 

 兄はPCの前で少し難しそうな顔をして、それから次の一打をクリックした。休日の兄はいつも、天気が悪くなければサッカーに出かけていく。その日は雨で、僕ら兄弟は二人とも家にいた。カーテンの向こうでは微かな雨音がつづき、室内は篭った明るさに満たされつつあった。最近、兄は麻雀に夢中だ。空いている時間にはいつもオンラインの麻雀をしている。よくもまあ飽きずにやるよねと僕は言った。
「そういう時期なんだよ」と兄は答えた。
「麻雀が?」
「若い頃に好きだったものを、またやりはじめる時期」
「それ、ちょっとわかるな」
「だろ?」
「俺のビリヤードみたいなもんでしょ?」
「そう。しかも、今やったほうが昔よりおもしろい」

 僕ら兄弟はいまだに実家で暮らしている。僕が33歳だということは、もう33年も一緒に過ごしているわけだ。そのわりには、僕は兄のことをあまり知らない。おそらく僕らは仲のいい兄弟に分類されるだろうし、暇があればよく話もする。でも、僕は兄の本質的な部分について何も知らないことに気づいた。こういうのって、ちょっと不思議だ。兄のこれまでの人生においての頂点、それから底辺。いつも何を考えていて、何に悩んできたのか。そもそも僕は兄が落ち込んでいるところを見たことがない。

 僕ら兄弟は同じ屋根の下で、同じものを食べて、同じ時代を通って育ってきた。生き物の生産過程でいえば、ほとんど同じような生き物になるはずだ。でも、人間の場合はちがうらしい。兄はけっこう人付き合いのいいほうで、面倒くさいと文句を言いながらも人に誘われれば出かけていく。そんな兄ではあるけど、人間関係をけっこうドライに捉えているのではないかと僕は思っている。それに対して僕は人付き合いがいいほうではないし、周りからドライだと思われがちだが、根本的には正反対のタイプなのではないかと思っていたりする。自分でそういうふうに修正してきただけで。
「本当の麻雀じゃないとさ、振り込んでもいい気になるからなんでも切っちゃうんだよな」
「それだと上達しないじゃん」
「言えたな。真面目にやるわ」
「いや、俺はべつにどっちでもいいけどね」

 僕は兄のことを「兄」と呼ぶ。目の前に座っているこの人物に僕は少なからず影響を受けてきたのだと思う。言ってみれば、これは弟であることの宿命だ。幼い頃はなにかにつけては兄と一緒に遊びにいったものだし――たいてい兄の友人に泣かされた――70~80年代の文化のほとんどを僕は兄から吸収した。

 草野球があり、空き地ではビー玉大会が催され、道路ではローラースケートの音が響き、部屋には不恰好なラジカセがあった。小学生の頃から洋楽を聴いていたのも兄の影響だ。a-ha、カルチャークラブ、デュラン・デュランにビリー・ジョエル。シカゴ、バングルス。僕はいまだにときどき、ビリー・ジョエルやバングルスを聴く。過ぎ去った時代の過ぎ去った音楽。兄はまるで僕を導くように新しいものを取り入れてはそれに飽き、僕は僕で兄が飽きたものに執着をつづけていった。

 兄は作文が巧かった。いつだったか兄は脚本家になるというようなことを言った。兄の宣言は我が家ではちょっとしたニュースだった。母はいまでもそのコメントを覚えている。おそらく子供たちがはじめて将来の目標を口にした瞬間だったのだろう。兄の宣言は実行されない宣言として、そのまま何年も家に残りつづけた。それは果たされることのない家族旅行のようなものだった。誰もが計画を知っていて、いつかはそこへ行くんだろうなと思っているような。

 計画は計画のまま時間だけが過ぎていった。兄の旅立ちの準備はいっこうにはじまらないように思えた。それは兄なりの長いモラトリアムだったのかもしれない。やがていつしか、弟が兄と同じ宣言をした。それ以来、我が家でのそのポストは僕のものになり、兄は脚本やものを書くということについては何も言わなくなった。

 20歳くらいを過ぎた頃から、身のまわりの人間関係において、僕は「弟」でいることができなくなった。なぜかまわりから「落ち着いてる」とか「大人っぽい」と言われるようになる。その頃から僕は、友人・知人の関係においての「弟」という役割を捨てた。どちらかといえば「兄」のような立場でいるほうが関係性をスムーズに築けることに気づいたから。

 それが僕の本質であるのか、後天的に身につけていったものであるのかはよくわからない。おそらく、僕がいまだに弟でいられるのは家のなかだけだ。僕にとって、実家の心地よさというものは、いまだに弟でいられることと関係があるのかもしれない。もしかしたら僕は、いい年をしてまだ完全には兄離れができていないのかもしれない。

 僕ら兄弟はときどきメールを交わす。それはたいてい、「帰りにコーラ買ってこい」とか「ついでにラークを買ってきて」とかその程度のものだ。メールの返信がなかったり、兄が買い物に行ったきり帰ってこなかったりしたときのことだ。僕はごく稀にではあるが、事故にでもあったのではないかと心配する。兄が死んでこの世からいなくなったところを想像してたまらない気持ちになることがある。それから僕はこう思う。馬鹿馬鹿しい、と。

 普通の家族であれば、僕ら兄弟はとっくに離れて暮らしているはずだ。だから僕らも、いずれは別の場所で生きていくことになるのだろう。いつかは兄も家庭を持つのだろうし、僕も誰かに出会うのだと思う。離れて暮らすようになった兄弟が変化していくさまを僕はまだ知らない。すっかり疎遠になるのかもしれないし、いまと変わらない兄弟でありつづけるのかもしれない。あるいは、そのときになってはじめて、いまより兄のことがわかるようになるのかもしれない。
「この麻雀、絶対にトップとれねえよ」
「さて、俺もそろそろはじめるかな」
「なにを?」
「信長の野望オンライン」
「おまえはほんと、昔っからゲーマーだよな」
「兄、人のこと言えねえし」

 

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January 15, 2007

イガラシ式現代病

 

 スモーカーが迫害される昨今、煙草を片手に更新してみる。なぜだかはわからないけど、僕が親しくしている人はスモーカーが断然多い。先日このブログにときどき登場しているイガラシさんの家に行ってみたところ、“煙草をやめられる本”などというものが置いてあり、イガラシさんは煙草を吸う僕に向かって「煙草を吸うヤツなんて死んでしまえ! 低脳だね! バカだね!」と言いながら、当然のように自分も煙草を吹かしていた。おそらく、僕の前にいたイガラシ(敬称略)は無駄な読書をしていたのだと思われた。お気の毒。

 そんなイガラシさんは相変わらず彼そのものであり、久々に会ったのにもかかわらず「女の子紹介してよ!」とか声高に言われる。「いやいや、俺もソロなんですけど」と返答してみたが、「そんなの関係ないよ! 周りの女の子紹介してくれればいいじゃん!」とか東京的な語尾で身を乗り出してくる。ついでに「duzzくんにはあげないけど、俺ひとりでサーモン丼を食べる」などと宣言し、ひとりで手製のサーモン丼を食べはじめる始末。サーモンの上にたっぷりタマネギを乗せて。僕はいまでもあのタマネギの匂いを思い出せる。

 イガラシさんは分析が大好きな男である。かつてはイガラシ式恋愛ロジックという名で僕を恐れさせた長広舌を得意としている。常に序章から入るのが彼のスタイル。最近はこれといった恋愛もないらしく、ついに分析するものがなくなったのか、イガラシさんは僕についての分析をはじめた。サーモン丼を食べながら。

「duzzくんはあれだよね、こう、どっか心を閉ざしてるよね。普通に人と親しくなるのはうまかったりするけどさ、なんていうか現代病? そういうのってどうかと思うよ~。女の子とかもさ、そういうduzzくんの態度は困ると思うんだよね~、うん。なんていうか‥‥現代病?」
「現代病、お気に入りのフレーズっすか?」
「そうやってまた話をそらす」
「そもそもイガラシさん、俺と周りの女の子の関係知らないじゃないですか。いまは別の部署にいるし」
「その周りの子を紹介して。タマネギ臭くない?」
「じゃっかん」
「じゃっかん‥‥かっこいい~」
「えっ、バカにしてます?」
「サーモン安かったんだよね」
「いや、確かにその傾向はありますけどね。でも開いている人には開いてると思うんですが」
「だから~、現代病?」

 そのようにして、僕は現代病にされた。この会話の骨子は主にイガラシさんが「現代病」というフレーズを連呼したかったのだと思われ、僕はその叩き台にされたようだった。イガラシさんの話は当然まだ終わらない。

「だいたいさ~、職場に女の子たくさんいるんでしょ? 何もないほうがおかしいって。普通さ~、気になる子とかできるでしょ?」
「普通にかわいい子はいると思いますけどね」
「でしょ?」
「いい子も多いですけど。でも、だからといって。年齢も離れてますし」
「関係ないよ!(イガラシさん40歳)」
「同じ職場ってのも微妙じゃないですか?」
「関係ないよ!(イガラシさんほぼ無職)」
「紹介した場合、イガラシさん受け入れられるかなあ‥‥」
「関係ないよ! そこは俺がなんとかするよ!(イガラシさん前向き)」

 う~む、この人に女の子を紹介していいものなのか。個人的な評価では、非常に癖があり、厄介ではあるけれど独創的な魅力を兼ね備えている人物だと思う。つい最近では、イガラシさんは僕に対してひどく腹を立て、電話で呼び出されたうえタイマンでの話し合いが行われ、僕も久々にじゃっかん熱くなったが、最終的には双方に誤解があったということで和解を迎えた。ちなみに言っておくと、人と向き合って口論なんぞをするのはやたら久しぶりだった。最高に面倒くさがりである僕が、そういうことがあっても付き合いをつづけているということは、やはりイガラシさんにはなんらかの魅力があるのだろうと。

 僕はいまだかつて、女の子を紹介されたことも紹介したこともない。その記念すべき第一号になる人がイガラシさんでいいのか? 最近、僕の職場は以前に比べてずいぶんと親しさが増し、我々オッサンチームの間では彼女たちを評して、「いや、マジでいい子たちだよね。いい意味ですげえマトモ」などという会話が飛び交っている。職場で恋愛ネタになったときなど、あまりにも僕とかけ離れた恋愛観――かなりの確率で嘘偽りなく――を聞かされるので、「もうほんとに幸せになって」と心から発言したところ、「お父さんみたい」などと言われるduzz33歳。杉並産。そんなわけでいまや兄的な立場をすっ飛ばして父親的な立場にまで登りつめた僕が、愛着が沸きはじめた彼女たちにイガラシさんを紹介していいものなのか?

 ‥‥却下します。ごめんね、イガラシさん。

 

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January 11, 2007

そこにある景色

 

 職場の喫煙所には背の高い大きな窓があって、そこから新宿の裏側の住宅街を望むことができる。僕は一日に何回も喫煙所に行くから――さながらスモーカーのアウシュビッツ――同じ街の同じ角度を何度となく確認することになる。僕が働くフロアは高いところにあるので、窓から見える景色の半分以上は空だ。遠くにはくっきりと地平線が見えて、その左右を這うようにして霞んだ山々。地平線から手前にかけてはミニチュアのような建物が適当に配置されたみたいに四方に広がっている。よく晴れた日には、風に流れる大きな雲が地域に影を落とし、その影がペーパータオルで拭き取られた水みたいにすっと消えていくさまを見ることができる。僕はその瞬間がちょっと好きだ。

 その日の夕方、いつものように街を眺めていて、昔あの辺りは家族で歩いたことがあるなと思い当たった。なんの用事で出かけたときだったかはわからない。とにかく家族で歩いたことがあったはずだ。父と母と兄と僕で。記憶というものはときどき、ふいに訪れて人を落ち着かない気分にさせる。いまにして思うと、僕の家はみんなで出かけることがとても少ない家族だった。

 思い出せるかぎり、家族四人で旅行に出かけたのは一度だけだったと思う。親戚の家へ顔を出すときにはたいてい父はいなかったし、毎週のように足を運んでいた祖父の家にはいつだって父の姿はなかった。まだ幼かったから気にしていなかったが、当時から僕の家族は問題を抱えていたのかもしれない。父の日々はすでに下降線をたどりはじめていたのかもしれない。

 鮮明ではない当時の記憶を思い返すうちに、僕自身が僕自身の子供を連れて歩く日が来るのだろうかと思った。ありえそうもない話だ。そんな光景をリアルに思い浮かべることができなかった。おそらく僕は準備に欠けているか、破綻した夫婦を近くで見すぎてしまったのだろう。良いイメージが浮かばないものはたいていうまくはいかない。だから、暮れゆく街を眺め、過ぎゆく現在をただ見つめていた。傾いた陽が建物を淡い朱色に染めると、いくつかのビルが小さく瞬いた。

 それにしてもあれは、もうずいぶんと昔の話だ。たぶん目的のない人生というものはあっという間に過ぎていく。目的があっても叶わない人生も同様に。あるいは望みどおりの人生を生きていても同じことなのかもしれない。なにかをはじめなきゃなと思った。きっと、こうして考えたことさえも、いつかどこかでふと思い出し、あれからずいぶん時間が経ったなあと思うのだろう。「人生はあなたを待ってはくれないのよ」。いま読んでいる小説の台詞だ。時間にはかぎりがあり、人生は待ってはくれない。

 今年最初の出勤の日、僕が考えていたのはおおよそそのようなことだった。その日、職場での最後の煙草に火をつけた頃には、外はすっかり暗くなり、背の高い大きな窓は景色よりも僕自身を映し出していた。早急な結果を求めたり、焦って思考だけを足早に進めたりすると心のバランスを崩すことを僕は知っていた。メンタルによって日々の彩りの見え方は変わってくる。そのくらいのことがわかる程度には年を取った。


 目を背け過ぎず、目を向け過ぎず、バランスを保って行動すること。日々に小さな楽しみを見出しながら、少しずつでもやるべきことをやろうと思っている。時間にはかぎりがあり、人生は待ってはくれない。人生は父がふたたび浮上するのを待ってはくれなかった。だから? 結局のところ、人は自分のペースでしか歩めない。

 

 

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