物件探しで未来を探る
彼女の具合はずいぶんと回復し、まだ腹部に痛々しい傷跡はあったが、通常通りに歩けるようになっていた。そのようにして、僕らの10年目の遠距離恋愛は1ヶ月半程度で終了した。僕はその間、彼女の暮らした街に3回会いに行った。見えるところに、手の届くところに相手がいるいうことはやはりよいものだ。
部屋を探すということは、未来をイメージすることなんだと思う。ここで幸せに、さらには快適に暮らしている姿が明確にイメージできるかどうか。気が滅入る生活しか思い浮かばないのであれば即時に却下したほうがいい。何かを贖罪したいのでもないかぎり、望んで苦行の生活を送る必要はないと思うから。
たとえば晴れた日の休日。カーテンを開けて、横になって本を読みながら音楽を聴いている姿を想像してみる。なるほど、この部屋の窓からは向かい家の窓しか見えない。また別の物件では、となりのマンションの壁しか見えなかったり。窓という存在は自分と外界を繋ぐ役割だと思うのでその景色はけっこう重要だ。窓を開けて、人生が常に壁にぶち当たってる気分にはなりたくない。
何件ほど物件を見たんだろう? 僕と彼女は、悪くなく暮らしていけそうな部屋を見つけた。窓は大きく、向かいにすぐ壁はなかったし、隣の建物まで距離があるので適度な解放感がある。窓を開けると電車の通り過ぎる音がときおり聞こえたが、それはそれである種の昭和的な雰囲気を醸し出していた。
外観も小綺麗でしっかりとしていて、駅までの距離も近く、周りの飲食店などもかなり充実していた。食事を作らなくても暮らしていけそうなくらい。
「よくこんな物件が残っていましたね。ここはかなりいいと思います」と不動産屋が言った。彼は我々に付き合って、何件も物件を紹介してくれた人物だった。
「この物件のあえて言うデメリットは?」と僕は聞いた。
「天井が少し低いくらいですかね」
そう? 僕も彼女も、それはまったく気にならなかった。
部屋を決めたら、四角で囲われた限られたスペースに必要な家具を配置しなければならない。メジャーで各場所の距離を測り、僕たちが暮らす部屋の特徴を掴もうとする。ただ見るだけでなく、細かく測ってみるといくつかの問題点が見えてくる。僕たちはレイアウトを提案しあう。大抵、こうした意見を出し合う際に人はいくらかぶつかる。僕の恋愛関係における信条は、「どうしてもダメなことでないかぎり、事故る前に引き下がれ」である。そしておおむねの場合、男性より女性の方がセンスがいい。それがわかっているのに、なぜ戦う必要がある?
マンションの窓の向こうには見知らぬ人の広い庭が見える。季節ごとに花を咲かせてくれるのでとても気持ちがよい庭だ。さらに庭にも家にも全然人の気配がないので、僕らは勝手に「うちの庭」と呼んでいる。僕は部屋で音楽をかけて読書をし、「うちの庭」の緑を眺めては心穏やかな気持ちになったりしている。
それから数ヶ月して、なんの記念日でもない、覚えやすくもない日に、僕らは思い出したように婚姻届けを提出した。
Recent Comments