June 30, 2020

物件探しで未来を探る

 彼女が東京に帰ってくると、ふたりで暮らす部屋を探しはじめた。


 彼女の具合はずいぶんと回復し、まだ腹部に痛々しい傷跡はあったが、通常通りに歩けるようになっていた。そのようにして、僕らの10年目の遠距離恋愛は1ヶ月半程度で終了した。僕はその間、彼女の暮らした街に3回会いに行った。見えるところに、手の届くところに相手がいるいうことはやはりよいものだ。


 部屋を探すということは、未来をイメージすることなんだと思う。ここで幸せに、さらには快適に暮らしている姿が明確にイメージできるかどうか。気が滅入る生活しか思い浮かばないのであれば即時に却下したほうがいい。何かを贖罪したいのでもないかぎり、望んで苦行の生活を送る必要はないと思うから。


 たとえば晴れた日の休日。カーテンを開けて、横になって本を読みながら音楽を聴いている姿を想像してみる。なるほど、この部屋の窓からは向かい家の窓しか見えない。また別の物件では、となりのマンションの壁しか見えなかったり。窓という存在は自分と外界を繋ぐ役割だと思うのでその景色はけっこう重要だ。窓を開けて、人生が常に壁にぶち当たってる気分にはなりたくない。


 何件ほど物件を見たんだろう? 僕と彼女は、悪くなく暮らしていけそうな部屋を見つけた。窓は大きく、向かいにすぐ壁はなかったし、隣の建物まで距離があるので適度な解放感がある。窓を開けると電車の通り過ぎる音がときおり聞こえたが、それはそれである種の昭和的な雰囲気を醸し出していた。


 外観も小綺麗でしっかりとしていて、駅までの距離も近く、周りの飲食店などもかなり充実していた。食事を作らなくても暮らしていけそうなくらい。


「よくこんな物件が残っていましたね。ここはかなりいいと思います」と不動産屋が言った。彼は我々に付き合って、何件も物件を紹介してくれた人物だった。
「この物件のあえて言うデメリットは?」と僕は聞いた。
「天井が少し低いくらいですかね」
 そう? 僕も彼女も、それはまったく気にならなかった。


 部屋を決めたら、四角で囲われた限られたスペースに必要な家具を配置しなければならない。メジャーで各場所の距離を測り、僕たちが暮らす部屋の特徴を掴もうとする。ただ見るだけでなく、細かく測ってみるといくつかの問題点が見えてくる。僕たちはレイアウトを提案しあう。大抵、こうした意見を出し合う際に人はいくらかぶつかる。僕の恋愛関係における信条は、「どうしてもダメなことでないかぎり、事故る前に引き下がれ」である。そしておおむねの場合、男性より女性の方がセンスがいい。それがわかっているのに、なぜ戦う必要がある?


 マンションの窓の向こうには見知らぬ人の広い庭が見える。季節ごとに花を咲かせてくれるのでとても気持ちがよい庭だ。さらに庭にも家にも全然人の気配がないので、僕らは勝手に「うちの庭」と呼んでいる。僕は部屋で音楽をかけて読書をし、「うちの庭」の緑を眺めては心穏やかな気持ちになったりしている。


 それから数ヶ月して、なんの記念日でもない、覚えやすくもない日に、僕らは思い出したように婚姻届けを提出した。


 

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July 02, 2019

読書と音楽とカフェの窓際と

 

さて。 
BGMはザ・ナショナルの『I AM EASY TO FIND』。

 「あれから何日経った?」というのはカリオストロの城におけるルパンの台詞だけど、わたしの場合は「あれから何年経った?」になる。ブログを再開するまでの期間。10年。10年といえば一時代だ。いろいろなことが変わる。 

 この10年、わたしにも当然のように変化があった。まずは煙草をやめたこと。かつては 煙草とアイスコーヒーをトレードマークにしていたが、いまではまったく吸わない。ある日、デニム的なものを履こうと思ったときに足がつり、運動不足にもほどがあると腹立たしくなったわたしはランニングをはじめ、そのうちすっかりランにはまってしまい、ランシューとかランウェアとかを買い漁り、煙草をやめたらもっと走れるのではないかと思って禁煙をしてみたら自分でも驚くほどに煙草を吸いたいという衝動もなく非喫煙者という肩書きを手に入れ、もう5年くらい吸っていないし吸いたいとも思わず、村上氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』を勝手な共感を持って読めるようになったし、たとえば仕事あがりの夜の21時、ライドの『Nowhere』聴きながら街を走っていると、どこまでだって駆けていけるような充実した気持ちになったりする。 

 そう、そんなわけでランニングをするようになったのも変化のひとつ。あとは転職。職場が変わり、周りの顔ぶれも変わった。正直なところ、いまの職場は――というか部署が――あまりおもしろくないので、職場について語るべきことは何もない。死ね(え?) 

 あとは前回書いたように脚本を書かなくなったこと。何者にもなれない自分を認めたとき、世の中に本と音楽があってよかったと心から思った。現在、わたしの部屋には86冊の積読本が控えており――さっき数えた――最近はひとりで過ごす休日は夜まで本しか読まないという読書教育的制度が導入された。なぜならテレビや映画を見てしまうと、積読本がぜんぜん減らないので。そんな読書ファースト。一発屋都知事(言い過ぎ)。とくに意識してなかったけど、いつからか本を平行して読み進めるというスタイルを打ち出すようになった。現在同時に読んでいる本はこんなの。 

『グローリアーナ』 マイケル・ムアコック 
『郊外へ』 堀江 敏幸 
『贖罪』 イアン・マーキュアン 
『双眼鏡からの眺め』 イ―ディス・パールマン 
『火星ダーク・バラード』 上田早夕里 
『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』 ジェイ・マナキニー

 以前まではほとんど海外文学に傾倒していたが、数年前からSFをかなり読むようになった。86冊の積読本の半分くらいはSFかもしれない。平行して読みながら、いちばん先が気になるものを仕事の出勤日などにも持ち歩くというパターンが確立された。こうすると通勤時の電車や仕事の休憩時間にハズレの本を読んで退屈することがない。

 そして、音楽。人生に音楽があってよかった。本当に音楽には救われているなあと。窓から外が見えるカフェなんかで、音楽を聴きながら本を読んでいるとファ~っとした気持ちになる。このファ~体験はわかる人にはわかるはず。幸福感というか。アルファ派が発生するというか。おそらく。きっと。たぶん。

 rockinon.comに出ていた記事によると、人は30歳半ばから新しい音楽を探さなくなるらしい。わたしもおそらく同じくらいタイミングくらいで新しい音楽を積極的に探さなくなっていた。いままで出会ってきた音楽で充分足りていたような気がしていたから。そんな音楽的隠居。でも、なんとなくそれではいけないと思い立ち、数年前から音楽配信サービスを利用しつつ、音楽的穴倉から外の世界に出て最近の音楽も聴くようになった。結論から言うと、もっと早く聴いておけばよかった。いい音楽がたくさんあるではないか。ここ数年のお気に入りのアルバムはこんなの。

サッカー・マミー 『Clean』 
 来日してたのでついでに渋谷に観にいった。
ハインズ 『I don’t run』 
 ものすごく楽しそうに音楽やってるところが好印象。
ヴァンパイア・ウイークエンド『Modern Vampires of the City』 
 素晴らしい。個性を主張し過ぎなくなって洗練された。
ザ・ナショナル『Sleep Well Beast』
 もはや歴史的名盤。恐るべし。

  ヴァンパイア・ウイークエンドとザ・ナショナルはさらに新譜をリリース。これもとてもいい出来。今回のアルバムは、両バンドともアルバムとしてのトーンの統一感がすごい。そういうトレンドなのだろうか。なんにせよ、よい音楽でこちらの日々を彩ってくれるアーティストの方々に感謝を。

 読書は死ぬまでする気がするけど、人は何歳まで日常的に音楽を聴くのだろう? できることなら、ずっと音楽を聴いている人でありたい。いつまでも、カフェの窓際で。陽射しとアルファ派に包まれながら。

 

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May 22, 2019

おそらく、何者にもなれない君へ

 

 読んでいた『インド夜想曲』のページを閉じたところで、おそらくかなりの確率で自分は何者にもなれないだろうなと思った。そう認めるところからはじめるべきなんだろう。かつて、わたしは脚本家を目指していた。もう、かつてと言ってしまっていいと思う。いま、自分のなかに脚本を書きたいという気持ちが驚くほどにない。そういうことだ。それは風化された希望であり、かつての夢なのだ。

 ただ、まとまった文章は書きたいなという気持ちはずっと持ち続けていて、それでも日々の仕事と生活に追われ、しだいに書く時間を失っていった。ここでコイツに容赦のない指摘なんかをひとつ。これはただの言い訳である。どれだけ忙しかろうと書く時間は作れたはずだ。不倫や浮気を愛好している方々が、「忙しくて連絡できなかった」と言っているのと変わらない。本気で取り組む気があれば絶対にわずかでも時間は作れる。浮気をしている時点で時間が相当にあり余ってるし。ずっと以前から思っていたが、不倫をする人はまちがいなく暇人だ。わたしの墓標にはそう刻んでほしい(墓地で嫌われそう)。

 かの澤穂希は――彼女はかのと言っていいほど偉大な人物だと思う――「人は楽な方楽な方へ逃げようとする」とどこかでコメントしていた。そのとおりだ。このブログを更新しなくなってから4~5年は脚本を書き続けていた。それ以降はブラー的に表現するなら、『The Great Escape』くらいまったくものを書いていなかった気がする。以前と変わらず、ときどきコピーライターの仕事をするくらい。楽な方へ逃げなかったかの澤穂希はサッカー女子W杯で優勝し、女子最優秀選手の称号であるバロンドールも受賞した。素晴らしい。彼女に惜しみのない拍手を。ちなみに現在のなでしこジャパンでは、個人的には以前から長谷川唯に期待している。攻撃的センスがあり、運動量があってよく走る。オシムに好まれそうな選手。最近プロ契約したらしい。あんなに活躍していたのに、まだプロ契約していなかったとは。女子サッカーを取り巻く環境はまだまだ厳しいらしい。

 話が逸れた。わたしはなでしこジャパンを応援しすぎな傾向にある。まあいいや。そんなわけで澤穂希にも長谷川唯にもなれなかったわたしは――プロ化という意味で――こうして10年振りにブログを再開しているというわけだ。そもそもブログの更新をやめたのも、ここに書いていると“ものを書いた感”が芽生えてしまい、脚本を書かなくなってしまうからだった気がする。脚本を書かなくなったいま、長らく放置されていたここを手入れして更新する正当な理由ができた。運動しなくなると筋力が落ちるの同じで、書かなくなると文章力が著しく低下する。イメージが沸かなくなる。スケッチでさえ書けなくなる。ものを書くことはそれなりにテクニカルな作業だ。ときどき更新することで、以前と同じ程度の技術と書き癖をまた取り戻せればと思っていたりする。

 前回、長い空白を経てブログを更新してみて、なんというか、文章を書くということは心地いいものだなとあらためて思った。だから、またここから書きはじめよう。たとえプロになれなくても書き続けることはできるわけだ。そうすることで、また何か新しい夢のようなものが芽生えるのかもしれない。一人称が「僕」から「わたし」になる年齢になっても、夢を見ることが許されないわけじゃない。

そんなわけで、今日からブログタイトルをじゃっかん変更しました。

 

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April 26, 2019

彼女が暮らした街へ会いにいく

 

 平日午前中の東京駅新幹線ホームは、予想していたよりも閑散としていた。ひとりで新幹線に乗り慣れていないわたしは、戸惑いつつも自由席に腰を降ろした。10年連れ添ってきた恋人が病気で入院をすることになり、術後回復するまでの生活も考慮し、実家の方にある病院で手術をすることになった。この10年、彼女と1週間以上――あるいは5日以上?――顔を合わさないことがなかったので、なんだかとても不思議な感じがした。

 新幹線は東京駅を離れ、これまでの彼女の歴史を逆にたどって走りはじめた。窓の外には青空が広がり、4月の入道雲が浮かんでいた。流れていく景色を眺めながら、耳元から流れるレディオヘッドの『High and Dry』を聴いた。誰にも聞かれていないのに言っておくと、わたしはレディオヘッドでは『The Bends』がいちばん好きかもしれない。

 いろんなものが後ろへ過ぎ去っていく。さまざまな建物、陽に映える緑や山々、連なる鉄塔、田園、年齢、かつての自分、夢とか希望とか。いつも仕事で移動する景色を眺めている半分旅行者の方々は、移動しない人に比べて生涯思考時間が長いのだろうかと思ったりした。新幹線は予定の各駅に停車しながら、彼女が暮らした街へ向かっていく。新幹線で止まるくらいだから有名な地名なんだろうけど、あまり移動しない生き物であるわたしには馴染みがなかった。知らない土地には知らない人々が住んでいて、それぞれの人生があるんだろう。願わくば、その日々が平和でありますように。

  彼女が暮らした街のホームにはじめて足を下ろした。大いなる一歩。辺りにはこれまでに彼女との会話で耳にしていた百貨店や駅ビルなどが建ち並んでいた。「なるほど、これがあのエピソードのところね」と思いなから、街を見渡しながら歩いた。病院への行き方は、あらかじめ彼女から詳細なメールとLINEが送られてきていた。東京を離れる前の彼女のいちばんの心配事は、わたしが迷わずに無事に病院まで来れるかということだった。 バスに乗って本を開いた。バスという乗り物は読書に向いているような気がする。紙面を照らす陽の光が心地いいというか。ふと目を向けると、まっすぐな桜並木が花びらを散らしていた。桜吹雪だ。『四月物語』的な美しい風景だったが、誰ひとり足を止めて見上げていなかった。というより、そこには誰ひとりいなかった。東京なら花見で大渋滞になるはずなのに。なんだかものすごく得をした気がした。

 運賃を払ったつもりが「そこは両替」と運転手に突っ込まれつつ、無駄に小銭を増やしてバスを降りる。駄菓子でも買うべきかもしれない。以前からうっかりすることを得意技にしているわたしだったが、最近はさらに拍車がかかった気がする。これが歳を重ねるということなんだろう。病院についたものの、彼女の病室の部屋番号がわからなくなり、とりあえずトイレにいった。なぜならトイレに行きたかったから。それからメールとLINEをあらためて確認するも、部屋番号の記載が見当たらないので――前に見た気がしたけど――彼女にLINEをした。ここで、彼女が世の男たちを評してよくする発言なんかをひとつ。「男の人ってなんであんなにものを探せないの? そこにあるのに」

  術後の彼女はまだ具合が悪そうだった。見舞いに来ていた彼女の母親に挨拶をして、手土産を渡す。病室は個室で清潔感があり、部屋としてはなかなか快適そうだった。翌週に退院して、実家で療養した後、来月くらいには戻れそうとのことでひと安心。 彼女の母親が帰ってから、普段のようにわたしたちは話しはじめた。術後の経過、病院までは迷わずに来れたのか、入院中に読む本は足りているか、部屋番号教えましたよね? 東京に戻ったらいちばん最初にどこへ何を食べにいくか。歩くのがいちばんいいと医師に言われているらしく、決して広くない室内を点滴をつけたままの彼女を支えて歩いた。

「歩くの遅いでしょ?」
「遅いね」
「なんか、わざわざここまで来てもらったのは申し訳ないと思うけど、いつも看病とかしてもらっているから、こういうのに付き合ってもらうのはぜんぜん悪いと思ってないかも」
「確かに。ぜんぜん大変な気がしない」

 病室を時計まわりに歩きながら、彼女と会話を続けた。ずいぶんと便利になったこの世の中では、会えなくてもさまざまな通信手段がある。それでも、結局のところ顔を合わせて話すのがいちばん大切であることに変わりはないんだろうと思った。面会時間が終わる頃になって、彼女の病室を後にした。ここからはまたひとりだ。かつてあれほどひとりが好きだったわたしは、ふたりでいることがずいぶんと当たり前になった。今でもひとりは好きだ。でも、きっと人はふたりのほうがいい。そう思えるようになった。

 夜の東京駅構内の人だかりは、彼女が暮らした街と比べると異常なほどの混雑だった。あまりにも人が多すぎる。みんな急いでいるし、道を譲らない。それでもどこかホッとするのは、やはりここがわたしのホームだということなんだろう。人が多い分だけ、多くの夢や希望があるのかもしれない。あるいは人が多い分だけ、悪意や不親切にあふれているのかもしれない。東京という土地には自分勝手でろくでもないやつが多い。それは、朝の満員電車に乗るだけで誰にでもわかることだ。

 それでもわたしはこの場所で、彼女が元気になって帰ってくるのを待っている。 

 

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January 30, 2008

書き続けるということ

 

 それは結局のところ、脚本的なリハビリなのだろうなと思った。

 脚本講座に通いはじめてから、「なんだかこの感じが懐かしいな」と思うことがよくある。なにしろ毎週課題が出るので、一週間のあいだ脚本のことを考えない日がほとんどない。職場での休憩時間にノートを開き、おそろしく汚い字でアウトラインを作り、とりあえずそこに入れたい台詞を書きつけ、枚数制限の中で収まるように構成を考える。耳元で流れる音楽はほとんど聞こえていない。そこにあるのは実在しない人物の言葉と行動だけだ。こういうふうに没頭している瞬間というのは懐かしくもあり、楽しくもある時間だといえる。

 講座にはとりあえず「脚本ってどんなものだろう」と通いはじめてみた人から、プロ化を目指している人までさまざまな顔ぶれがいる。とりあえずの方々は姿を見せなくなったり、出席しても課題に追いつかなくなってきているようだ。それはそうだろう、忙しく働いていたら毎週の課題はけっこうきつい。僕でさえぎりぎりなくらいだから。枚数的にはそれほど多くないが、毎週テーマが決まっているので、なんでも自由に書いていいというわけでもない。

 僕にとってはそれがけっこうおもしろい。自分だけだったらまず書かないだろういうテーマが出るし、物語を構成する上で欠かせない要素を毎回メインにして書かせることで筆力を上げさせるという狙いだと思われた。言われなくても知ってることから、「なるほどね」と思えることもあり、現時点では講座に通っていることが明らかにプラスになっているようだ。

 先日はいきなり、その場で数枚のシナリオを書いてくださいと言われ、手書きが嫌いな僕はかなりつらかった。与えられた時間の中でみんな同じテーマで書き、終わった人から帰れるという仕組み。時間ぎりぎりまで書く人がいれば、早々と書き上げていく人もいた。僕は残り20分くらいまで時間を使って書いたけど、それでも早い方だった。正直、やっつけだった感は否めない。

 翌週、それをひとりひとり音読し、挙手で誰が1位か決めるなどという簡易コンクール的な展開になった。はっきり言って、それを知っていたら僕は休んでいた恐れさえある。人前でしかも自分が書いた脚本を読むなんて自殺行為だ。狂ってる。ついでに言えばテーマは恋愛的なもので、さらに言わせてもらえば手書きなので構成の直しが面倒すぎて――久しぶりに消しゴムの存在を思い出した――仕方なく出した脚本だった。まあ、それはほかの人も同じだったんだろうけど。人前で自分が書いた恋愛的な台詞を読むところを想像してみてください。信じられますか?(ヴォネガット風)

 結果はかなり意外にも、20人くらいの人数の中で僕が小差で1位だった。誰も手を挙げなくても仕方ないくらいのデキだったのに。「えっ、こんなので?」と内心思ったが、冷静に考えれば周りには初心者も多かったんだろう。僕個人の感覚では及第点と思えるものを書いていた人は4人くらいしかいなかった。あとは声の大きさや音読の巧さもある。感情を入れて読んでいる人がいれば、緊張してうまく読めていない人もいた。うまく読めなかった人の中にもそれなりに悪くないものを書いていたり、時間を与えればもっといいものが書ける人もいたのかもしれない。そして、僕が思い切り棒読みだったのは言うまでもなく。声を張りたくもないのでマイクの目の前でぼそぼそと読んでいたという噂。いま思い出すと、僕に一票を入れた方々は前の方の席に座っていた人が多かった気さえする。

 僕自身が一票を入れた脚本には、ほかに誰も手を挙げていなかった。好みの問題なのかもしれない。その人が台詞を読むのを聞いていて、ひとつだけ「あっ、この台詞はあの時間の中で俺には思いつかないな」という台詞があった。だから一票というわけだったんだけど、そういう意味でもやっぱり台詞って重要だなと思ってみたしだい。

 なんというかまあ、やっぱり脚本を書くのっておもしろいよね。
 そんなわけで、僕はまだ書いています。

 

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October 23, 2007

終わりなき夜に

 

 あれから何ヶ月が過ぎた?

 半年。前回ここに書いてからもう半年が過ぎた。恋人は月々の支払い的な痛みによって早く眠りにつき、僕はこうして久しぶりに文章を書いている。月に一度のこの時期がやってくると、女の子は大変だなと思う。あと10分でまた鎮痛剤を飲んでもいい時間になるが、彼女を起こして薬を飲ませた方がいいのか、そのまま寝かせておくべきなのかと僕は考える。こういうことは、男にはよくわからない。でも痛くて起きるはめになるくらいなら飲んだ方がいい。僕はそう判断し、彼女を起こして薬を飲むように勧める。薬とグラスに入った水を渡すと、喉が渇いているのか彼女は水だけを飲む。「えっ、水だけ?」という言葉で意図を伝えると、彼女は薬を飲んで呟く。「ありがとう」

 いえ、どういたしまして。それから彼女が再び眠りにつくまで一緒に横になる。規則的な寝息がまた聞こえてくると、僕はその場を離れてベランダでタバコを吸う。もう10月か、と考える。何かを変えようとしないと何も変わらない。僕は最近、シナリオ講座に通いはじめている。このままだと書けなくなっていくような気がしたから。手に入らないものをただひとり願い続けていてもモチベーションは下がるばかりで、ここらで最初から学び直さなければならないと思った。

 詐欺まがい商法に遭っている僕の知人はこう言った。「脚本をやったり、役者をしたり、あと音楽やっている人たちと、僕がしていることはそう変わらないと思う。成功するのはほんのひと握りのひとだけだから」。詐欺まがいと一緒にされるのもどうかと思ったが、まあ確かに一理あるのかもしれない。彼はまとまった金銭を投資して、僕らは時間を投資する。うまくいかなければ、どちらも同じ損失だ。むしろ時間の方が取り返しがつかないという意味では痛手なのかもしれない。彼はコツコツ働いて貯蓄すればまたある程度の金を手にすることができるが、僕らはコツコツ生きたところでもう20代には戻れない。

 それでも、今年の後半から来年にかけては学ぶ時期だ。結果を求めるのはそのあと。幸いなことに僕にはまだやる気がある。彼女はときおり目を覚まし、言葉にならない何かを呟く。眠っている喉元がひくひくと小刻みに動いている。なんとなくそこに手を当てる。歯を磨き、ベッドの空いているスペースを探して横になる。それから僕はこう思う。


 求め続けているかぎり、それは終わらないのだと。

 

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April 25, 2007

短めに現状報告

 

 少しは仕事を増やしてみたいと思った。去年の暮れくらいに。世の中の職業事情で言えば、僕は恐ろしいほど自由時間があるタイプの生きものだったから。息がつまらない程度にはつづけて仕事があればいいなと。息がつまらない程度というあたりが、僕という人間の本質を表している気もするけど、とにかくまあ、それなりに仕事を増やしてみたかったわけだ。去年の暮れからこの四月までに、新しく仕事をくれた会社が3社。継続的に仕事をもらえるかどうかは別問題としても、それなりに悪くない成果なのかもしれない。だから、僕はまた売り込みの電話をかける。

 10割バッターの方は相変わらずで、おそらく僕らは悪くない時間を過ごしている。よく晴れた日には公園で横になって八重桜を眺め、雨の日にはカフェで向かい合ってコーヒーを飲んだり、恋人の部屋で音楽を聴いたりしている。ふたりともテレビに興味がないから、その箱から音声が流れることはほとんどない。煙草を吸いにベランダに出ると、背の低い住居がいくつも並んで見えて、大通りからは車の排気音が聞こえてくる。僕らは並んで街を見下ろし、「いい天気だ」とか「ちょっと寒い」とか「風が気持ちいい」とか当たり前の感想を述べて、その日一日がはじまったことを確認する。

 誰かと一緒に時間を過ごすうえで重要なのは、どうでもいいことと大切なことの感覚が近いことではないかと思う。それが近ければ、長く一緒にいても我慢する必要がないし、ストレスを感じることもない。僕らの関係性は秘密裏に進行しているので、普段の僕はまるでなにごともなかったように振舞っていたりもする。こういうことを書けるのもこのブログだけでmixiには書けない。いくらか面倒だなと感じることもあるけど、しばらくはこれでもいいかなと思っている。そんなわけで、海外で活躍する天才バッターのようにはいかないけれど、いまのところ僕らのボールはまだ緩やかに高く飛びつづけている。

 最後に隣のガキについて。小学生の頃からなんとなく成長を見守ってきた隣のガキは気がつけば高校生になっていたが、今日はマンションの通路で女の子を連れていた。それはどんなにがんばっても中1にまでしか見えず、ほぼ間違いなく小学生だと思われる女の子だった。エレベーター前で僕に挨拶したガキは、帰っていく小学生みたいな女の子に「またあとでね」と笑顔を向けていた。またあとで会うらしい。ふたりの関係性がひどく気になる。大丈夫なのか? 隣のガキ。

 

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April 03, 2007

帰ってきた10割バッター

 

 この春、僕は10割バッターになった。比喩的に。簡単に言えば、チャンスを見送るのをやめたということだ。いいボールが見えているのになぜ打たない? そう、僕は長らく見送り専門のバッターだった。打席には立つ。でも打たない。いいボールだ、それでも見送ろう。6割。うん、やっぱり見送っても平気じゃん。5割。くり返し。そんなふうにして自ら感情を抑えて打率を下げるのを得意技としていた。そういう意味では選球眼だけはやたら鍛えられた。これはいいボール。これは悪いボール。これはストライクと思わせておいてボール球。これはクセ球だけどじつは素直なボール。その他いろいろ。

 僕のバッティングポリシーは、「我慢ができるなら振るな」だ。本当にいい球であるのなら、無意識的に振りにいくはずだと。そして、僕は自分がフルスイングにいくとどうなるかをよく知っていた。まず、今までのように自分をコントロールできなくなる。普段が淡白キャラであるだけに、そいつが非常に腹立たしい。だから見送る。そんな自分を見たくないから見送る。そうすれば、僕はまた平穏でいられるというわけだ。

 そういう性質だけに、むしろ低い打率で手を打ったほうがいいのではないかと考えたこともある。でも、6・7割の打率で振りにいったところで、その後の打率が安定するのかどうかも疑問だった。もちろん上がるかもしれない。でも、一気に下がるのかもしれない。さっさと試合終了になる可能性があるなら、振りにいかないほうがいい。それはおそらく時間の浪費だし、どちらかが、あるいは両方が負傷するだけだから。我慢ができるのなら振らない。これはおそらく僕が歴史的失恋から学んだ人生哲学であり、自分の身を守る術であったのだと思う。

 いつからだったのか正確にはわからないけど、僕はまた打席に立っていた。困ったことに、今回のボールはとてもいい球だった。スイングした後のボールの軌道がイメージできるくらいに。もし僕に巧く打つことができたのなら、こんなふうに飛んでいくんだろうなと。それは高く長く飛びそうに思えた。打席に立って、そこまでイメージできることなんてなかなかない。だから僕は迷った。迷っていながら、打席に立っていることが心地良いことに気づいた。この時間を失いたくないのであれば、あとは振りにいくしかない。だから僕は自分と正面から向き合った。そこから都合のいい嘘を排除した。はっきり言って、僕はたいしたバッターじゃない。ほかの人から見れば退屈な試合なのかもしれない。きっとそうなんだろう。

 それでもこれは、ほかの誰でもなく僕らの試合だった。もはやこのまま見送りを続けることはできないように思えた。失う前から気づいているのに、失ってからそれをやっと認めるなんてうんざりだった。僕はすでに無意識的に振りにいきはじめていて、ひどく中途半端なフォームになりつつさえあった。このままいくとバランスを崩してしまいそうな気がした。どうせ自分をコントロールできなくなるのであれば完全に打ちにいったほうがいい。たとえ、巧く打てなかったとしても。

 その日、打席に立った僕は、自分のなかに眠っていた情熱を呼び起こしてフルスイングをした。素直に。ストレートに。観客は誰もいなかった。僕ら二人だけだった。打撃は柔らかな和音を響かせて返ってきた。それは僕の求めていた音だったと思う。その瞬間、たぶん僕は前より幸せになった。

 10割バッターがフルスイングをして、僕らのボールは飛びはじめた。着地点がどこになるのかわからないけど、高く長く飛んでくれればいいなと思っている。

 

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March 17, 2007

ひとり会議議事録

 

 角膜炎と血膜炎を併発した。弊社調べによれば、これはかなり厄介な症状だ。なにしろ目がひどく赤い。赤目プロくらい赤い。赤目プロを知らない人は「白土三平全集」でも読んでくれ。おすすめは「カムイ伝」かな。まあいいや。とにかく僕の右目はひどく赤くなっていて、秘められた何かしらの能力が覚醒したかのような仕上がりだった。レーダーに敵影なし。レーダーに敵影なし。

 午後になってだいぶ落ち着いたけど、腰痛が東洋医学的な一撃によって治ったと思ったら、今度は右目だ。最近の僕には異変が多発している。ひとり繁忙期なのかもしれない。あるいは、何かを変えるときがきているのかもしれない。

 慣れ親しんだスタイルを変えるのはなかなか難しい。で、僕はお得意の自分との対話をはじめた。自分と対話しながら、これからどうしたいのか、何をしたいのかと考える。ひとり会議。僕は年に何度かまとまった休みをとってこれをやる。テーマはそのときによってさまざまだ。最近では今月の頭にやった。変わっていると思われるならそれでもいい。とにかく僕はそれをやるわけだ。着席。遠慮のない意見を聞かせてくれ。僕と僕。俺と俺。僕と君。俺とあんた。どれにしたって、ふたりでひとりだ。隠しごとはナシにしようぜ。あんたのことは昔からよく知ってるからな。その癖もスタイルも。ここが見直しの時期かもしれないってわけだ。さあ、話し合おうぜ。時間はいくらでもあるからさ。

 イメージ。まずは想像することからはじめる。で、その景色のなかに身を置いてみて、どんな気分がするのかと考えてみる。なるほど、こういう感じか。それがそうなりうるかもしれない僕の姿であり、君の姿というわけだ。それから、得るものと失うものを秤にかける。バランス。どちらがいまの自分にとって大切であるのか。どちらが今後の自分にとって必要であるのか。賛成票と反対票。僕の場合は反対票の方があっさり受理されやすい。なぜなら、反対票であれば現状維持でいいから。賛成票の場合は厄介だ。あんまり考えたくないくらい厄介だ。だから、しばらくはそこから目を逸らす。目を逸らしてはいられない状況になるまでやり過ごす。やがてそのときが来てしまったら、僕は大抵こう思う。なるほどね、と。

 イメージが済んだら、自分の考えを整理して再確認するために書きはじめる。まずはノートを用意してくれ。ノートの種類はなんでもいい。コクヨとか、コクヨとか、コクヨとか、どれでも好きなやつを選んでくれ。僕はべつにコクヨの回し者ではない。うん、そのへんで売ってるやつでいいよ。ペンを手にしたら議事録的にひとり会議のもようを書きはじめる。僕の場合なら、今まさに書いているような文章を書きはじめることになる。でもまあ、文体はどんな感じでも構わない。書き終わったら、それを読み返してみる。それでいくらかは自分の現状を再確認することができるはずだ。それでもすべての考えはまとまらないだろう。人は悩み、迷う生きものなので。「人間は考える葦である」って言ったのは誰だっけ?

 だから僕は考える。また、考える。

 

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January 26, 2007

ずっとそれを見て育った

 

 兄はPCの前で少し難しそうな顔をして、それから次の一打をクリックした。休日の兄はいつも、天気が悪くなければサッカーに出かけていく。その日は雨で、僕ら兄弟は二人とも家にいた。カーテンの向こうでは微かな雨音がつづき、室内は篭った明るさに満たされつつあった。最近、兄は麻雀に夢中だ。空いている時間にはいつもオンラインの麻雀をしている。よくもまあ飽きずにやるよねと僕は言った。
「そういう時期なんだよ」と兄は答えた。
「麻雀が?」
「若い頃に好きだったものを、またやりはじめる時期」
「それ、ちょっとわかるな」
「だろ?」
「俺のビリヤードみたいなもんでしょ?」
「そう。しかも、今やったほうが昔よりおもしろい」

 僕ら兄弟はいまだに実家で暮らしている。僕が33歳だということは、もう33年も一緒に過ごしているわけだ。そのわりには、僕は兄のことをあまり知らない。おそらく僕らは仲のいい兄弟に分類されるだろうし、暇があればよく話もする。でも、僕は兄の本質的な部分について何も知らないことに気づいた。こういうのって、ちょっと不思議だ。兄のこれまでの人生においての頂点、それから底辺。いつも何を考えていて、何に悩んできたのか。そもそも僕は兄が落ち込んでいるところを見たことがない。

 僕ら兄弟は同じ屋根の下で、同じものを食べて、同じ時代を通って育ってきた。生き物の生産過程でいえば、ほとんど同じような生き物になるはずだ。でも、人間の場合はちがうらしい。兄はけっこう人付き合いのいいほうで、面倒くさいと文句を言いながらも人に誘われれば出かけていく。そんな兄ではあるけど、人間関係をけっこうドライに捉えているのではないかと僕は思っている。それに対して僕は人付き合いがいいほうではないし、周りからドライだと思われがちだが、根本的には正反対のタイプなのではないかと思っていたりする。自分でそういうふうに修正してきただけで。
「本当の麻雀じゃないとさ、振り込んでもいい気になるからなんでも切っちゃうんだよな」
「それだと上達しないじゃん」
「言えたな。真面目にやるわ」
「いや、俺はべつにどっちでもいいけどね」

 僕は兄のことを「兄」と呼ぶ。目の前に座っているこの人物に僕は少なからず影響を受けてきたのだと思う。言ってみれば、これは弟であることの宿命だ。幼い頃はなにかにつけては兄と一緒に遊びにいったものだし――たいてい兄の友人に泣かされた――70~80年代の文化のほとんどを僕は兄から吸収した。

 草野球があり、空き地ではビー玉大会が催され、道路ではローラースケートの音が響き、部屋には不恰好なラジカセがあった。小学生の頃から洋楽を聴いていたのも兄の影響だ。a-ha、カルチャークラブ、デュラン・デュランにビリー・ジョエル。シカゴ、バングルス。僕はいまだにときどき、ビリー・ジョエルやバングルスを聴く。過ぎ去った時代の過ぎ去った音楽。兄はまるで僕を導くように新しいものを取り入れてはそれに飽き、僕は僕で兄が飽きたものに執着をつづけていった。

 兄は作文が巧かった。いつだったか兄は脚本家になるというようなことを言った。兄の宣言は我が家ではちょっとしたニュースだった。母はいまでもそのコメントを覚えている。おそらく子供たちがはじめて将来の目標を口にした瞬間だったのだろう。兄の宣言は実行されない宣言として、そのまま何年も家に残りつづけた。それは果たされることのない家族旅行のようなものだった。誰もが計画を知っていて、いつかはそこへ行くんだろうなと思っているような。

 計画は計画のまま時間だけが過ぎていった。兄の旅立ちの準備はいっこうにはじまらないように思えた。それは兄なりの長いモラトリアムだったのかもしれない。やがていつしか、弟が兄と同じ宣言をした。それ以来、我が家でのそのポストは僕のものになり、兄は脚本やものを書くということについては何も言わなくなった。

 20歳くらいを過ぎた頃から、身のまわりの人間関係において、僕は「弟」でいることができなくなった。なぜかまわりから「落ち着いてる」とか「大人っぽい」と言われるようになる。その頃から僕は、友人・知人の関係においての「弟」という役割を捨てた。どちらかといえば「兄」のような立場でいるほうが関係性をスムーズに築けることに気づいたから。

 それが僕の本質であるのか、後天的に身につけていったものであるのかはよくわからない。おそらく、僕がいまだに弟でいられるのは家のなかだけだ。僕にとって、実家の心地よさというものは、いまだに弟でいられることと関係があるのかもしれない。もしかしたら僕は、いい年をしてまだ完全には兄離れができていないのかもしれない。

 僕ら兄弟はときどきメールを交わす。それはたいてい、「帰りにコーラ買ってこい」とか「ついでにラークを買ってきて」とかその程度のものだ。メールの返信がなかったり、兄が買い物に行ったきり帰ってこなかったりしたときのことだ。僕はごく稀にではあるが、事故にでもあったのではないかと心配する。兄が死んでこの世からいなくなったところを想像してたまらない気持ちになることがある。それから僕はこう思う。馬鹿馬鹿しい、と。

 普通の家族であれば、僕ら兄弟はとっくに離れて暮らしているはずだ。だから僕らも、いずれは別の場所で生きていくことになるのだろう。いつかは兄も家庭を持つのだろうし、僕も誰かに出会うのだと思う。離れて暮らすようになった兄弟が変化していくさまを僕はまだ知らない。すっかり疎遠になるのかもしれないし、いまと変わらない兄弟でありつづけるのかもしれない。あるいは、そのときになってはじめて、いまより兄のことがわかるようになるのかもしれない。
「この麻雀、絶対にトップとれねえよ」
「さて、俺もそろそろはじめるかな」
「なにを?」
「信長の野望オンライン」
「おまえはほんと、昔っからゲーマーだよな」
「兄、人のこと言えねえし」

 

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