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9 posts from December 2004

December 30, 2004

帰郷願望


 年の瀬。人々は自分のルーツを辿って帰郷する。そこには懐かしい風景や久し
く会っていなかった友人、叶わなかった想いなどがあるのだろう。
 で、僕の場合はどうか? いや、実家なんだよね、ここが。困ったことに。いつだ
って帰郷な人発見。往復320円(東京メトロ)。ありがたみゼロ。街に染み付いた
数々の思い出はとっくに風化されたし、星が輝く夜空もなければ、縁側で虫の声
を聴くこともできない。
 僕は長年、そんな場所に住んでいる。

 毎年、この季節になると帰郷する人々が羨ましいなあ、と。生まれてこのかた、
一度も帰郷ってものをしたことがないもので。映画などで窓も何もない一室に監禁
される人っているでしょう? お気の毒だって話。気分はあれに近いな。ずっと同じ
風景ばかり見せられていると、精神衛生上よくないっぽい。おそらく僕の帰郷願望
はパータン化からの脱出なのだと思われる。

 そんな帰郷願望のせいか、職場の友人たちにやたらと「実家帰るの?」と聞いて
みたりした。ときどき同じ人に同じ質問をしたりもして、「それ、前答えたじゃん」と
怒られたりもした。悪いね、俺ってけっこう人の話聞いてないんだよね。自分から質
問してるくせにさ。根がいいかげんなもので。ちなみに僕の友人は、性根が腐ってる
女の子とクリスマスにディズニーランドへ行ったらしいよ(どうでもいい情報発信)。
 怒られながらも友人たちの帰郷予定を聞いてみたところ、年末に実家に帰らない
人が意外と多いことが判明。その理由は、「めんどうだから」とか「お金がかかるか
ら」とか「津波に襲われたから」とかそういうの。こんなに僕が帰郷したがってるのに
贅沢な人々だ。ここらでみんなに一言。

 帰りやがれ。

 とりあえず、帰郷への道を辿る電車に乗ろうよ。まあ飛行機でもいいけど。たぶん
向かいには赤ら顔でカップの日本酒を飲んでいるオッサンが座ってる。
「坊主、里帰りか?」
「はい」
「故郷ってのはいいもんだ。みんな忘れがちだけどな」
「そうですね」
「親孝行しろよ、俺みたいにどうにもならなくなる前に」

 電車を降りて、故郷の地を踏む。空気には草木の匂いが混ざっている。電車が動き
出し、ゆっくりと山間に向けて小さくなっていく。まだ昼間だというのに、あとには静寂
だけが残る。僕は煙草に火をつけて辺りを見回す。ホームの端から、ひとりの女性が
風に揺れる黒い髪を手で押さえながら歩いてくる。懐かしい顔。
「ホームは禁煙」
「知ってる」
「おばさんから帰ってくるって聞いたから」
「たまにはね」
「何年ぶり?」
「4年かな」
「あれからずいぶん経ったね」
「結婚、おめでとう」
「‥‥知ってたんだ」
「‥‥」
「連絡しようかと思ってたんだけど」
「いいよ、べつに」
「ねえ、覚えてる? あの日‥‥」

 いや、覚えてないから。何の話? つうか、君は誰なの? かわいいなら許す
けど(えっ?)。そもそも僕には帰るべき故郷がないのに。帰郷願望というより
空想狂発見。

 え~と、良いお年を。


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移行中、移行中

某HPより移行中です。
古い文章ばかりですみません。

まだいまいち仕組みがわかってないし・・。

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名もない夏の日に

 あとになってみても何も思い出せない、そんな夏だ。甲子園の球児たちに
とっては一生忘れられない夏なのだろう。アテネで日の丸を背負っている選
手たちとっても。それが勝者であれ、敗者であれ。

 僕にとっては名もない夏が通り過ぎていく。体重は3キロ落ちた。あまり物
を食べないでいたら胃が小さくなったようだ。空腹感を覚えることがない。実家
暮らしの僕ではあるが、母の仕事の都合上、最近は自分でよくパスタを作る。
夜食はほぼ毎日パスタだ。ほうれん草とベーコン、カルボナーラ、ボロネーゼ。
トマトが嫌いなのでボロネーゼは主にデミグラスソース。缶詰などではなく、ほ
とんどの物は材料から自分で作る。何度か失敗したが、それぞれに悪くない
物を作れるようになった。人は学ぶ。

 先日、見知らぬ女の子と酒を飲んだ。バイトの友人と酒を飲んでいたら、突然
ひとりの友達が隣のテーブルの女の子たちに声をかけにいったのだ。気がつい
たら一緒に飲むことになっていた。見知らぬ女の子と一時的に親しく話すのは
それはそれで楽しいものだなと思った。年齢は僕らとほぼ同世代だった。彼女た
ちにもそれぞれの人生があり、そこに世間的な重圧やまだ叶わぬ願望が入り混
じっているようだった。帰りに女の子はメールアドレスを教えてくれた。2回ほどメ
ールが行き交った。たぶん順番で言えば次は僕の番なんだろう。それ以上、話
すべきことが見つけられなかった。3回目のメールは送らなかった。
友人には「duzzさんは性欲が足りない」と言われた。言うまでもないが、もちろん
僕にも性欲はある。それも余裕で。ただなんとなく、その場が楽しかったし、言葉
が送られて返ってきたのでこれはこれで終了でいいのではないかと。そんな気が
した。

 名もない夏が通り過ぎていく。バンドマンの友人はライブをこなし、お笑い芸人の
友人はレギュラーが決まった。彼らにとっては活動の季節だ。芸人の彼は「これが
最後のチャンス」と言っていた。そんな彼らの成功を願いながら、僕は脚本を書いて
いる。今回のは意外と悪くないような気もする。終わってみたらやっぱり退屈だったり
するのかもしれないけど。

 月の砂漠で生きる僕らにとっては、まだ名もない夏。この夏が、あとから思い返した
とき意味のある日々に変わっていれば良いなと思いつつ。


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月の砂漠

この日記を書いたずいぶん後に、放置の“置”が違うと教えてもらった。


放置プレイ。

 不思議な言葉だ。巷でなぜか言葉として認知されているのに、実際のところどんな
プレイなのか誰も知らない。放置プレイ。もう一度言ってみる。やっぱりよくわからない。
正確には放置プレーなのかな。どっちでもいいや。なんとなく性的なイメージがあるけ
ど、性的には放置していてもされていても、ちっともおもしろくないと思われる。なぜな
ら放置されちゃってるので。お気の毒。あの情熱はどこへ行ったのかね?

 時刻は深夜2時。こんなふうに僕は放置プレーについて考えていたところ。バイト先
の友人に「ホームページ更新しないんですか?」と問いを投げかけられたので、そろそ
ろ放置はいかんと思ってこの文章を書いている。で、放置プレーについて書いている。
久々に更新したのに放置プレーが主題。そんな31歳の暑い夏。月の砂漠。ちなみに
これは、たどり着いてみたけど何もなかったという暗喩(青山真治参照)。
 そもそも脚本を書こうかと思ってたんだけど、どうにも書くことが思いつけなかった。つ
いでに言うと、最近書きあげた脚本はいまいちおもしろくない。お気の毒。そんなわけで
ここを更新する時間が生まれてしまったがこれはこれで問題あり。文章を書くと、「今日
はこれでものを書いたな」感がいくらか生まれてしまうわけです。危機感の喪失。本来
なら脚本を書くべきなのに。僕のモラトリアムはいつまで続くのか。

 いま、メールが届いた。この時間に届くメールはかなりの確率で迷惑メールだったり
する。件名は「とびっきりの」。とびっきりの何? とびっきりの放置プレー? そいつは
放っておきすぎだと思うね。ものすごく退屈だよ、それ。ちょっと腹立つよ(なんで?)。
 こういうメールは開くとロクなことがないので削除。最近の僕には「とびっきりの」ニュ
ースがない。飛べねえって話だ。なぜなら、ここは月の砂漠なので。月の砂漠の良いと
ころは自分の時間がたくさんあること。それはけっこう広大だったりする。考えたくなくて
も意識を向けておいた方がいいものがある。忙しいと見えなくなるものもある。だから、
あえて忙しくしている人もいる。そんな世の中だ。

 ここぞとばかりに、僕は今年に入ってから相当な数の映画を見た。つまらない映画
が腐るほどあることがわかったし、それなりにおもしろい映画がそこそこあることもわ
かった。なんでこんな企画が通ったのか疑問に思うほどの作品もあった。僕が20分で
見るのをやめる映画も多々あった。それでも監督たちは映画を撮り続け、俳優たちは
その商品価値に「カット」の声がかかるまで演技を保ち、脚本家たちが創造をやめるこ
とはないだろう。
 月の砂漠の住人である僕は、あるていど大人になってからずっとここにいるのかも
しれない。たぶんそこでは星しか見えない。だから眺める。おそらく星に届くことはない
んだろう。それでも眺める。困ったことに、そこに星があるので。

 月の砂漠の住人のみなさんへ。そっちはどうですか?


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思えば、六月は暇だった


これといって語ることがない。

 穏やかな日々だ。やりすぎた六月のやりすぎた暑さだけはなんとかして
ほしかったが。このまま気温が上昇していくと、暑さが苦手な僕は引きこも
りになってしまうかもしれない。我が家の玄関にはこんな貼り紙。

「引きこもり、はじめました」

 おそらく、この家では来客があっても誰も出迎えない。なぜなら引きこもり
なので。そんなわけで、どんなわけかはわからないけど、非常にフラットな日々
なのである。喜びもなければ悲しみもなく、愛もなければ憎しみもないという。
かつて、ブコウスキーは「ポストオフィス」において“この物語はフィクションで
あり、誰にも捧げられない”と書いていたが、僕の人生もそれに似たものがある。
あまりにも個人的で、誰にも捧げられそうにもない。

 僕の祖父は六十二だったか六十三でこの世を去った。僕はすでに祖父の
生涯の半分くらいを生きたわけだ。当然のことながら、僕は後年の祖父しか
知らない。まだ幼かったので溺愛されていたという実感はないが、いつでも
優しい人だったという印象は残っている。僕も兄も祖父に叱られたことがなか
った。祖父の優しさの半分さえ僕が持ち合わせているか疑問だったし、彼が
学んだ人生哲学の半分すら僕が得ているかどうかも疑わしい。
 祖父が僕の年齢の頃にはすでに母が生まれていた。彼は個人的な人では
なかった。母が僕の年齢の頃にはすでに僕と兄が生まれていた。彼女もまた
個人的な人ではなかった。その息子たちは、ふたり足してもひとつの生命も
生み出していなかった。彼らは極めて個人的な男たちだった(ヴォネガット的表現)。

 最近、僕が“こうありたい”と思っているいくつか。年を重ねても、人並みに
清潔であること。誰かのペースではなく、自分のペースで生きること。立ち位置
はどこでもいいので、幸せになろうとすること。
 これから夏に向けて、僕の体重は数キロ落ちていくだろう。それから何度か
自分の日々にうんざりし、いずれそれほど悪くもないと持ち直すだろう。素敵な
女の子を見かけて、友人とその子に魅力について語りあうだろう。休日は脚本
を書いて、その人物たちの結末を思い描くだろう。
 そしてまた、僕は幸せという言葉の意味について考えることだろう。

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衛生兵をご存知ですか?

 この文章を書いたのは5月くらいですが、ついでなので。


 基本的にエッセイしか読まない兄がめずらしく小説を読んだそうだ。タイトルは
「世界の中心で、愛をさけぶ」。中心で叫んだらひどく迷惑だと思われたが、この
作家は端っこで叫ぶほどの謙虚さを持ち合わせていないらしかった。ちなみに僕
はこれを本屋で立ち読みし、書き出しから1ページくらいで却下した。なので、正
確にはどんな内容なのかよくしらない。「で、どんな話なの?」と兄に聞いてみた。
兄の感想はこうだ。

「俺って悲しいよ、っていう話。誰も叫ばない」


 衛生兵について語る。
 ご存知かと思うが、衛生兵というのは戦地で兵隊の手当てをする兵士のことで
ある。戦場で誰かが負傷したとき、銃弾が飛び交うなかを駆けつけ、自分も思い
っきり危険な状態なのに仲間ために治療をする勇敢な兵士のことだ。戦争映画を
見れば必ずと言っていいほど「衛生兵! 衛生兵!」という言葉を耳にすることが
できるし、たいていの場合は助けにきた衛生兵も銃弾に倒れるはめになる。お気
の毒。
 僕らのあいだでは、この「衛生兵」という言葉は女の子と同義語である。仲間内
における隠語。職場であからさまに女の子の話をするわけにもいかないのでそう
呼ぶことになった。日々、生きていくことが困難なこの世界で、傷ついた僕らの心
を癒してくれる素敵な女の子、それが衛生兵なのである。
 その隠語は仕事中の社内メールの中で、このように使用される。「え~、います
ぐ衛生兵を呼んでください」、「ただいま、そちらの衛生兵が出勤されたもようです」、
「今日入ってきた子は、やや衛生兵のような気がします」などなど。
 僕の仲間たちはそれぞれに衛生兵を見つけていたが、僕にはこれといった衛生
兵が見つけられない状態だったりする。仕方ないので、シャニン・ソサモンの画像を
ネットで見つけ出して社内メールに添付、「これからは彼女を俺の衛生兵にしようと
思います」というコメントとともに発射した。数分後、仲間のひとりからこんな返事が
きた。

「おそらく、彼女は俺の衛生兵にもなりうると思います」


 そう言えば先日、31歳になっていた。びっくりするね。とくに太ってもいなかったし、
ハゲの危険もないようだし、白髪が目立つわけでもないので許すことにした。せっか
くなのでノートパソコンと無線LANを購入。が、我が家の環境では無線LANが使えな
いらしく、「信号がうまく届いてませんね。お宅では無線の使用が難しいかもしれま
せん」とメーカーに一蹴される。使えない物を持っていても仕方ないので、カメラのさ
くらやへ返却にいったところ、これといった面倒もなく返金してくれた。なんだかとても
得した気がした。でも、わざわざ返却に出向いているので、じつは得していないという
ことに気づくまでそれほど時間はかからなかった。
 そんな31歳の5月。月の砂漠。

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問題は?


 いつ頃からだっただろう。たぶん20歳くらいだったと思う。いや、正確には20代
半ばくらいかもしれない。僕は普段の生活の中で、よくこの言葉を繰り返すように
なった。朝起きて煙草を吸っているときや、どこかでコーヒーを飲んで煙草を吸って
いるとき。深夜に煙草を吸っているときもそうだ。その瞬間は大抵の場合、煙草を
吸っているときに訪れる。切っても切れない仲。あるいは煙たいほどの友人。まあ、
僕と煙草の関係はなんて呼んでもらってもいい。とにかく、それが訪れた瞬間、僕
は僕に向かってこう尋ねるわけだ。

「問題は?」

 その時代によって僕が抱え込んでいた問題は違うはずだけど、とにかく僕はそう
することによって、自分の現状をわかりやすく把握しようとしていたのかもしれない。
ライターでそこそこ食えるようになること。金を借りること。おそらくは自分の人間的な
欠陥だと思われる部分をなおすこと。できるだけものを書くようにすること。売り込み
をして仕事を増やすこと。コピーを金曜までに提出すること。バイトを優先してでも金
を稼ぐこと。30歳までには大人らしくなること。恋人との関係をどうするかということ。
芝居用の台本を完成させること。時間が戻せないなら今動くこと。そんなふうに。
 つい先日、またその瞬間が訪れた。朝、バイト近くのエクセルシオールでコーヒー
を飲んでいたとき。いつもはドトールへ行くのに、その日はなぜかドトールの気分で
はなかった。壁際のソファへ腰掛けて本を開く。煙草を吸う。文章を切りのいいところ
まで目で追い、出勤時間を気にして携帯に目を向ける。8時20分。窓の外ではスー
ツ姿の人々が通り過ぎていく。そのとき、それは訪れた。

「問題は?」

 ほうっておいてくれ、というのが僕の最初の答えだった。でも、人はなかなか習慣
から逃れられない。それから僕は例によって、自分が抱えていると思われる問題に
ついて考えはじめた。本を読んでいるときや音楽を聴いているとき、それから映画を
見ているときもそうだ。その瞬間、ほかには何もいらないと感じることがある。だけど、
それではどこにもたどり着けない。たどり着けるのはたぶん、ここだけだ。今、僕が
生きているこの現状。憂鬱な朝。水っぽくなったアイスコーヒー。世界中の才能への
羨望。永遠の観客。この先も、その先もずっとだ。どうやら、僕は素敵な問題を抱え
ているらしい。

 結局のところ、やるしかないってことはわかっていた。永遠の観客でいたくないの
なら、芝居でもなんでもやるしかないってことだ。でも、僕は自分の書いたものをでき
るだけ客観的に見る努力をしている。この日記は書き流しているので別問題というこ
とにしてほしい。あくまで本気で書いているものについて。そう、脚本。自分の脚本を
客観的に読んでみて、僕はそれがどうしても“おもしろい”と呼べる域に達していると
は思えない。よくて“普通”だし、僕の目で見て普通ということは、おそらく他の人が
読んだらそれは“おもしろくない”のだと思われた。僕が目にしてきた、多くの小劇場
の芝居と同じように。

 名もない劇団レベルで自分が書いているものを本気でおもしろいと思っている人は
別として、その他の書き手たちは批判を覚悟で上演しているのだろう。そうしないこと
には永遠に観客だから。とにかく自分の書いたものを形として見てみたいから。それ
を続けることで、自分なりの方法論が見つけられるかもしれないから。
 名もない書き手たちに拍手を。

「問題は?」

 そいつはおそらく、勇気だ。

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そいつは最高

 

 バイト前に毎朝通っているドトールの窓からは、こんな看板が見える。スヴェンソン。
それが何の会社なのか知らないけど、僕はそのやる気のなさそうな看板と、無駄に
スウェーデン人みたいな響きが気に入っている。スヴェンソン、おはよう。お互い朝は
眠いよな。相変わらず、君の母国は虫歯の人が少ないのかい?
 
 裸足のままでいく 何も見えなくなる
 振り返ることなく 天国のドア叩く

 世の中には、トイレの個室になにやら意見を書きたがる人がいるようだ。僕はいつも
こう思う。「で、君はなぜにマジックを持ってる?」
 大抵の場合、それは性的で稚拙な芸術であったり、極めて男性的な妄想であったり、
無意味な個人情報――暇だったら090-8763-6098にTELして――であったりする。そ
の日、僕がそこで目にしたのは、どこかの誰かの悲痛なまでの社会への叫びだった。

 クラフト・ワークは不◆良物件ばかり売っている

 クラフト・ワークの人事担当◆者死ね

 クラフト・ワークのような詐欺会社に気をつけろ

 なるほど。じゃあ僕も気をつけよう。ちなみに◆の部分は、これを書いた人が字を間違
えて塗りつぶしたところ。ついでに言うと、この人は最後の「気をつけろ」のところも間違
えていて、いちどは「気をつける」にしてしまい、それでは自戒の言葉になってしまうこと
に気付いたらしく、そのあと「る」の下の丸い部分を塗りつぶして「ろ」に直していた。
 この人はよほど興奮していたのか、あるいはものすごくご立腹されていたか、ちょっぴ
りクレイジーだったりするのか、とにかくそのどれかだと思われる。お気の毒。

 僕のバイト先には朝の朝礼みたいなのがあって、これをやっている間、僕を含めたみ
んなは眠いので聞いているふりをしている。必要な情報はWeb上にアップされるので、
べつに聞いていなくてもあとで確認できるという仕組みだ。無駄なパフォーマンスと遭
遇。どうです? 我が社はきちんとしてます。そんなきちんとした会社に属している僕
は、朝礼中は窓の外を眺めることにしている。見下ろす世界には、「この人たち、みん
な仕事に行くんだ。すごいな」ってくらいの人々が動き回っているのが見える。かなり
高いところから見下ろしているので、正確には人というより点にちかい。色がついた点。
それぞれの日々にはそれぞれの色があるというわけだ。上から見ると、僕の日々は
何色なのだろうと思う。

 ときどき、音楽を聴いているだけでほかに何もいらないと思うことがある。音楽をやって
る人って素敵だ。そして幸せだと思う。言葉が違う国で、まったく見知らぬ人が自分の音
楽を聴いている。これってすごいことだ。だけどそれは、ものすごく狭き門だと思われる。
 先日、“最高にやる気ないトリオ”のひとり、芸人の彼と会話をしていたとき、こんな話
題になった。

「俺たち、いつまでバイトする気なんだろう?」
「俺は今年一年やってダメだったら、群馬へ帰ります」
「群馬ってどんなところですか?」
「緑が多い」
「へえ~」
「東京はあんまり好きになれないなあ。芸人目指してなかったら、
東京きてないですもん」
「俺、東京しか知らないからわからない。東京も木ありますけど。
ほら、あそことか」
「あんなの緑じゃないですよ」
「そうなんだ。へえ~。はぁ、俺も群馬行きたいなあ」
「duzzさんも一緒にきますか?」
「都落ちブーム到来」
「だって、今まで俺たちいろいろバイトしてきたじゃないですか?
で、バンドとか役者やってるヤツ、たくさん出会いましたよね?」
「はい、相当な数出会ってます」
「その中で、ひとりでも成功して食えているヤツっています?」
「……いないっす」

 そう、ひとりもいない。そいつは最高。

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ダイアン・キートンを探して


 たまにはDVDでも購入しようということで、「アニー・ホール」と「マンハッタン」を購入
した。この先も何度も見たくなるんだろうし、それなら買っておこうではないかと。最近、
僕は金遣いが荒い気がする。ノートパソコンも買っちまう気配濃厚。小金持ち気分?
 この時期のウディ・アレン映画はいいなあ。とても好きだ。もし、近年の作品だけを見
て「ウディ・アレンの映画ってつまらん」と思っている人がいたら、上記ふたつのタイトル
を見ましょう。評価はそれからということでどうぞよろしく。

 で、僕は考えてみた。「アニー・ホール」も「マンハッタン」も、アレンの公私におけるパ
ートナーはダイアン・キートンだった。特別美しくもないが魅力的な女性だと思われる。
その後、アレンはミア・ファローを新たなパートナーとし、それ以降の作品に使い続ける。
ミア・ファロー時代もなかなか良い作品が多い。「ハンナとその姉妹」などが好例だろう。
 で、「夫たち、妻たち」でついにミア・ファローとの関係を解消。よく考えてみると、この
辺りから僕はウディ・アレン映画をあまり評価しなくなった。なぜなら、以前と比べるとい
まいちおもしろくないので。ダイアン・キートン、ミア・ファローはともに女優だ。彼女たち
がいたから、当時アレンは良い作品を作ることができたのかもしれない。最終的にアレ
ンが伴侶とした、ろくでもない中国系の女性(失礼)は彼の創作活動にはなにも役に立
っていない恐れあり。そんな気がする。

 腕のいい撮影監督がいたり、当時は共同執筆だったりという違いもあるが、ダイアン・
キートン/ミア・ファロー時代に比べると、現在は明らかに内容的に落ちていると思う。
確かに年齢とともに才能は枯れていくだろう。でも、それだけでなくウディ・アレンはパ
ートナーをまちがえてしまったのかもしれない。ここらで彼に一言アドバイスを。アレン、
まだ間に合う。死ぬまでにまともな女優さんをパートナーにしたまえ。そして、以前のよ
うに素敵でおもしろい作品を撮ってくれ。「誘惑のアフロディーテ」とか「世界中がどうた
らこうたら」とか「ギター弾きの恋」とか「おいしい生活」とか「スコルピオンの恋まじない」
とかいうのでは、僕は少しも、これっぽっちも納得できないね。

 話題を変更して。バイト先の僕ら“最高にやる気ないトリオ”に新たな仲間が登場した。
彼はバンドマンである。あるいはギターメン。食えないが一応インディ・レーベルと契約、
なんの足しにもならない印税を貰っている。そんなわけでバイト大好きというわけだ。
 去年くらいまではアジカンなどと一緒にライブをやっていたらしいし――あちらはブレイ
クして飛び去った――、今は亡きホフ・デュランの片割れ(メガネの方)には音楽的にか
なり評価されているそうだ。そのメガネくんは彼らにこう言ったらしい。

「おまえらすげえいいよ。でも、絶対売れない」

 素敵なコメント発見。まさに太鼓判。玄人好みってのもそれはそれでつらいね。それ
でも負けずに、彼らバンドマンたちは今年の夏、一ヶ月ほど米国へ乗り込んでライブを
やってくるそうだ。彼はバイトを休めるのかどうか心配していた。スケールの大きな計画
にスケールな小さな心配あり。
 そんな感じで、僕はバイト仲間から刺激を受けたり、一緒にうんざりしたりしながら日々
を生きている。最近はやる気があるので、いろいろ書いてみたりもしている。どんな形に
しろ良いものを作っていくためにも、僕は僕にとってのダイアン・キートンを探そう。

 ただひとつ問題が。僕はいま、ひとりでやたらと充実してる。僕のダイアン・キートンは
半年後くらいに納入希望。あるいはリボ払いで。

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