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8 posts from January 2005

January 29, 2005

新たなムーブメント


 画家は白いキャンバスを前にして何を思うのだろう。

 いま、僕はこうして白い紙――正確にはディスプレイの白い画面――を前にして
いる。とくに語るべきネタは何もない。白い紙を前にして、どこからか言葉が、ある
いはイメージが沸いてくるのを待っている。きっと画家はそんなふうにして絵を描く
のではないかと。窓際の隅にイーゼルを立て、白いキャンバスの前で難しい顔を
している画家が頭に浮かぶ。僕の中のイメージでは、そこは異国であり、画家は
襟首がぼろぼろのTシャツを着ている外国人だ。いわゆる画家というイメージから
考えるとひどく若い。そんな男を想像しながら、冒頭の一文を打ち込んだ。ブログ
の書き出しとしてはこんなものだろうと思いながら。

 ここで、僕はまた壁にぶつかる。ここからどう言葉を繋ぐべきなのか。制約のな
い文章の中ではどのように言葉を繋ごうと自由だ。自由だからこそ難しい。もっと
厳密に言うなら、語るべきネタが何もないから難しい。方向性。僕はどこに向かう
べきなのか? とりあえず窓の方を眺めてみたりするが何も浮かばない。僕には
人と会っているときも窓の外を眺める癖がある。退屈していると思われると危険
なので、この癖は前から治したいと思っているのにいまだに治らない。持病なの
かもしれない。あるいはバカは高いところが好きなのと同じように、常にどこか遠
くへ行ってみたいと思っているのかもしれない。そこになにがあるわけでもないの
に。

 強引にネタを探して意識の中へ。BGMは「YEAH YEAH YEAHS」。どこかウェン
ディ・ジェイムスを思わせるヴォーカル。その存在。彼女はどこへいったんだろう?
 ミュージックシーンの中で埋没していったスターたち。一度は輝きを得た人たち
のその後の人生とはどんなものなのか。そこにあるのは達成感? それとも敗北
感? 慰めにさえならないと思うけど僕から一言。君たちはひとつの時代を築いた
よ。それがたとえ短命であったとしても。素敵なことだ。シーンの先駆者。そんなの
なかなかなれるものじゃない。アルバムとして形に残されたものは、いつか君たち
の知らない若者たちの耳に届くだろう。彼らはその音から何かを得て、新しい音楽
を創造し、次の熱狂的なムーブメントを生み出すのかもしれない。

 人があるかぎり、音楽は続く。

 そんな若者たちがそこにもいた。渋谷サイクロン。観客は指で数えられる程度。
煙草のけむり。ごみ箱には潰れた紙コップの数々。ここから新たなムーブメントが
発生する気配はまるでない。それでもステージ上の彼らは懸命に演奏していた。
ギタリストは明らかにカート・コバーンに憧れていたし、次に出てきたバンドは疑い
ようもなくレディオヘッドの影響を受けていた。それでも、やっている音楽がどうか
は別として、僕はそんな彼らをかっこいいと思った。

 友人がステージ上に出てきたときは、フロアには僕を含めて7人しかいなかった。
彼は俯いたままドラムを叩き続けていた。スピーカーが発するドラムの音が、から
っぽのフロアを通して僕らの体を突き抜けた。職場では見ることができない彼がそ
こにいた。友達の芝居を見るときと同様に、僕はステージ上の彼を直視することが
できなかった。いつもそう。知り合いがステージに立っていると、僕はたいていほか
の人を見ている。

 翌日の職場には、音楽とはまるで無縁そうな顔で働く彼がいた。僕らはその日、
とくに前日のライブに触れることなく、ごくありきたりな会話を交わして一日を過ご
した。ネタがない状態ではじまった今回の更新はこのようなかたちで終わる。

 ほんとさ、みんないろいろうまくいくといいよね。


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January 17, 2005

FENDERの白いベース


 100s(Hyaku-Shiki)を聴きながら。

 冷静に考えると、僕は何ひとつ楽器を弾けない。吹こうと思えば縦笛やハーモニ
カは吹けるだろうけど、どう考えても演奏レベルには達しないはずだ。それはおそ
らく間の抜けたフーとかホーとかいう音であり、あるいはド、ドレミーなどというベタ
な低音階の繰り返しだと思われる。そんな僕でもよければ呼んでくれ、今宵ジャズ
メンたちが集うステージに。顔だって黒く塗るさ。足踏みでリズムを取るよ。遥かな
るミシシッピー、あの日々を忘れない(そいつはすげえ記憶障害)。

 その昔、FENDERの白いベースを友人から買った。14歳くらいの頃。幸いなこと
に僕は若くして、“向き不向き”という言葉の意味を心得ていた。僕のささやかな音
楽的栄光は三日で終わった。正確に言えば、「LONGER THAN FOREVER」の前奏
で終わった。「パーティの後の静けさに二人~」のフレーズにさえたどり着けなかっ
た。ロマンス以前だって話。お気の毒。

 その四日後、FENDERの白いベースは名前さえ思い出せない友人に売られてい
くはめになる。死ね(えっ?)。なんて名前だっけな、あいつ。まあいいや、思い出
せないから死んだことしよう。で、僕は思う、楽器を弾ける人って羨ましいなと。そ
の感覚がわからないので、文章を書くのとほんの少しだけ似ているのかと思って
みたりする。言葉の響き、文章で構築するリズム、その人が持つタッチ。ときどき
悪くないフレーズに出会ったり。そういう感じ。
 
 あのベースはまだこの世に存在しているだろうか、と考えてみる。めぐりめぐって、
今頃はどこかの古びた中古楽器店で放置されてるのかもしれない。たぶん、その
中古楽器店は、さえない商店街の布団屋と豆腐屋に挟まれたところにある。やけ
に縦長なそのスペース。店員は生意気そうな顔をした女の子だ。ショートカットの
髪を立て、足元は意地でもラバーソウル。気分しだいで鼻にピアス。彼女はジャニ
スが大好きだ。今日も苦情がくる一歩手前くらいのボリュームで「Pearl」を店内に
響かせている。豆腐屋のオッサンは彼女を苦手としている。目が合うと睨まれるか
ら。豆腐屋のおばさんは呟く、「まったく最近の若い子は」。人生の半分以上を自分
の中で過ごしてきた彼女にとって、おばさんの呟きは無意味に等しい。そもそも彼
女にはほとんど友達がいない。そんな彼女は密かに夢見ている。ジャニスのように
音楽で自分を表現できたらどんなに素敵だろうと。
 こう見えても彼女はそこそこ綺麗好きだ。リズムに合わせて、はたきで店内に飾
られた楽器の埃を払う。白いベース。こんなベースあったかな、と彼女は思う。なん
となく彼女はそのベースを手に取る。指が弦を弾く。その瞬間、店内の音楽が何か
に吸い込まれるように消えていき、シンプルなベース音だけが心に響く。今までの
人生において、学校の音楽の授業以外で、はじめて彼女が奏でた音がそこにある。
もう一度弾いてみる。もう一度。彼女は小さく微笑み、リズムにさえならない音を
紡ぎつづける。

 やけにFENDERの白いベースの行方が気になった、月曜日の昼下がり。

 BGMをBadly Drawn Boyに変更して。そんなわけで音楽っていいなあと思う。僕の
日々が音楽によって救われているように、多くの人のうんざりする日常も音楽によっ
て保たれているのだろう。僕らに素敵な音楽を届けてくれる、アーティストのみなさ
んに感謝を。ついでに、まだ見ぬ埋もれた音楽的才能にエールを。

 うん、結局のところ、バンドマンであるカメダさんの「kamehome 3」とリンクしたって
ことが言いたかったのです。ただそれだけ。それにしちゃ、前置き長いなってツッコミ
は却下します。


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January 15, 2005

書を捨てよ、髪を切ろう


 タイトルは寺山修司から拝借。べつに寺山修司が好きなわけでもないんだけど。
そんなわけで、とっても面倒ではあるが、心地よい自宅の一室を出て髪を切りに
行くことにする。これから髪を切りに行くのに、髪を整えていくのってすごく無駄な
気がする。世の中には無駄なことが多い。朝の朝礼とか、飲み屋のまずいお通
しとか、「いくつなの?」って聞いて「え~、いくつに見えます?」とか。あんたに
一言いっておくよ。見え方はどうでもいい。

 表参道を「アレンタウン」を聴きながら歩く。今日はなぜだかそんな気分だったか
ら。いまこの街で、ビリー・ジョエルを聴いているのは僕だけだと思われた。オシャ
レ臭全開の街に響き渡る汽笛。いや、この曲は汽笛の音からはじまるもので。流
行なんてどうでもいいね。僕には関係ない。なぜかこの歌が小学校六年生の頃か
ら好きなんだよ。

 僕らはアレンタウンに住んでいる
 安らぎを得ることはできないし
 この町で暮らすのはますます困難になっていく
 僕らはアレンタウンで待っている

 おそらく僕も何かを待っている。それは人生の転機かもしれないし、劇的な出会
いなのかもしれない。でも、みなさんご存知のとおり、この世の中では自分から動
かないかぎり何も得られない。たぶんそれは日本でもニューヨークでも同じことだ。
だから、あがいてみる。たとえそれがどうにもならなかったとしても。僕はものを書
き続け、夢見る歌姫たちは今日もレッスンに通い、イガラシさんはいまも彼女を思
い続けているのだろう。ビリー・ジョエルは「アップタウン・ガール」の中で、手の届
かないものについてこんなふうに歌っている。

 アップタウン・ガール
 彼女は山の手に住んでいる
 裏通りに住む男にはまるで縁がない
 彼女の母親はその理由すら話したことがない
 だから 僕は試してみたいのさ

 鏡の前で髪にパーマ用のピンを取り付けられながら、僕は“試す”ということにつ
いて考える。鏡の中の僕は最高にかっこわるい状態になっているが――サランラ
ップみたいのかぶせられてるし――この際それはどうでもいい。ここでいう“試す”
とは可能性を意味する。ごく稀に「もう充分に試したのではないか」と思うことがあ
る。またときには、「まだまだぜんぜんやってない」と思うこともあったりする。可能
性と限界。終わりはどこにある? ここで、「エドウィン・マルハウス」から長々と引
用。


 ――(中略)彼が持っていた才能とは、要するに、夢想する力の一途さ、そして
 何ひとつ手放すまいとする執拗さだった。晩年、同年代の子供たちが退屈な責
 任と、さらに退屈な快楽とで徐々に希釈されていく中で、一人エドウィンだけは
 水で薄められることを拒み、一人だけ彼は遊び続けた。もちろん天賦の才も少し
 はあっただろう。しかし、今言ったことこそが、最も重要な点なのだ。なぜなら―
 ―僕は読者に問いたい――何かに執着できる能力を天才と呼ばずして、いった
 い何を天才と呼ぶのだろう? 普通の子供なら誰だってその能力を持っているの
 だ。君も、僕も、誰もがかつては天才だった。しかし、じきにその才能は擦り切れ
 て失われ、栄光は色褪せていく。そして七歳にもなれば、僕らはもうひねこびた
 大人のミニチュアになってしまっている。したがって、もっと正確に言うなら、天才
 とは何かに執着する能力を維持する才能である。あるときニ年生になるかならな
 いかのうちに、エドウィンは周りの子供たちが皆その能力を失いつつあることに
 早くも気づいた。そして、ちょうどある種の人々が筋肉を鍛えるように、その能力
 にしがみつき、それを育み、それが衰えないように監視の目を光らせた。おそら
 くエドウィンは、その能力を失うか失わないかで今後の人生のありようが決まっ
 てくることを、本能的に知っていたのだろう。


 何かに執着する能力を維持する才能が僕にどの程度あるのかはわからない。こ
のまえ職場でリーダーになったと書いたが、20代の僕であったら頑なに拒み続けて
いたかもしれない。自分のスタンスを貫こうという意志が揺らぐことはなかったかも
しれない。僕は衰えはじめているのか?

 3時間後、僕の髪はツイスト化していた。ここ何年かずっとツイストパーマだ。ひと
つだけわかっていること。それは、少なくともツイストを飽きずに維持する才能だけは
あるってこと。そいつは素敵。まさに無駄な能力。寝る。(ふて寝?)


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January 10, 2005

ロードムービー


  ロードムービー。常にここではないどこかへ移動していく、あれ。ほとんどの
場合、カメラは路面を捉え、道路の白線や街並が延々と流れていく。人が移動
を続けるように。人生が今日も繰り返されるように。文学における西向きの運動、
自分探し、ビートニク。ニール・キャサディは死んだ。ちなみに僕は、「路上」がそ
れほどいい作品だとは思っていない。

 今日は成人の日らしい。びっくりするくらい遠い日のことだ。僕がそのころ見て
いた景色と、いま現在見ている風景はあまり変わっていない気がする。まだアイ
スコーヒーを飲むようになる前の僕だ。煙草はすでに吸っていた。成人式の日に
は、仲間たちと徒党を組んで公会堂へ向かった。アメリカン・グラフィティ。オッサ
ン顔のリチャード・ドレイファスにだって若き日があった。確かアキオが車を出した
と思う。僕らはそれに文字どおり飛び乗った。BGMは覚えていない。最悪の場合、
MCハマーだったかもしれない。どいつもこいつも似合わないスーツを着込んでい
た。とにかく根拠のない自信だけは溢れていた。オカダは恋人と別れたばかりだ
った。それでも、「俺たちって最高」と思える世代だった。
 フェイドアウト。黒い背景に白字でテロップが浮かびあがる。

 Ten years after――

 東京上空からの俯瞰ショット。街の喧騒。大通りに色彩豊かな車の列、米粒の
ような大きさの人々が行き交う。物語には本筋と枝葉がある。本筋を僕とするな
ら、枝葉は過ぎ去った仲間たちだ。カメラを枝葉に向ける。仲間たちの何人かは
結婚して、すでに子供がいる。ひとりは薬物中毒で刑務所に入ったと噂で聞いた。
「骨太なロックをやりたい」と言っていたモチヅキは、いまは車のセールスをしてい
るらしい。まだ音楽を続けているのかどうか僕にはわからない。なんだかひどく懐
かしいね。どんなかたちであれ、君たちの日々がそれほど悪くないものであること
を願ってるよ。
 
 カメラは新宿の地下通路へ。人々は冬の装い。ブーツ。重なるその足音。カメラ
は早回しになり、ものすごい速さで人々が流れていく。シーンが変わってここで新
たな登場人物。渋谷クアトロでライブをしているカメダさん。新宿シアター・モリエー
ル、舞台の上ではイトウさんが演技をしている。カメラの前でゴミ拾いをしている夫
婦芸人、アダムとイブ。クリエイター志望のウナバラくんは卒業製作に取り組み、
サカイくんは今日も胃を気にしながら酒を飲んでいる。

 カメラはとあるマンションの一室へ。PCの前に男。そろそろ髪を切ったほうがいい
くらい長くなっている。観客にはその男が10年前に仲間たちと車に乗っていた男だ
とわかる。男はPCに向かって一円にもならない文章を書いている。おそらく脚本の
新しいアイデアが浮かばないので、ブログを更新することでごまかしている。灰皿
にはラークの吸殻がたまっている。男は気晴らしにカーテンを開け放つ。六階から
見下ろす街並。行き交う車、道行く人々。ここでカメラは再び早回し。夜の街に車の
テールランプが帯状になって流れていく。
 カメラは日本からアメリカ、フランス、イギリスと世界各国へ移り変わる。都市から
都市へ。早回しで流れゆく風景と人間。すべての都市に人の数だけ人生がある。

 今日も、人は移動を続けている。


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January 07, 2005

男と女、再び


 人ってのは何歳になっても恋をする生き物らしい。時代はめぐり、近年は余裕で
中性派の方々もいらっしゃるが、世の中には基本的には男と女しかいない。どう
にもこうにもお互い惹かれあうように創られているというわけだ。破滅的な恋をした
伝説の恋人たち。ボニー&クライド、シド&ナンシー、ジム・モリソンとパメラ、アダ
ムとイブ(芸人)。

 女の目から見た男の魅力というものを僕は知らない。でも、男から見た女の魅力
ならよくわかる。一応、長いこと男として生きたきたので。冷たい手の感触、物憂げ
な横顔、冬のストール姿、街で交わした一瞬の視線、艶やかな髪、人混みの中の
笑顔、本のページをめくる指先、話すに話しかけられないその距離、ほかの相手と
話ながらもお互いを察知している気配、見上げた瞳、微笑む口元、心を許した者だ
けに見せる表情。あるいは、彼女という存在そのもの。
 
  イガラシさんの恋について語る。
 
  彼はもう恋などしないと思っていた。37歳、人並み以上の数の女たちと付き合
ってきた。いまさら簡単に人を好きになったりはしない。ましてや16歳も年下の女
など。その日――まだ僕がイガラシさんという人物の存在を知らないとき――彼と
彼女は出会った。

 最初の出会いから、彼女が自分の方を見ていると感じていた。その視線が意味す
るところはわからない。それが彼を戸惑わせた。複数の人物を通して、いわばグル
ープとして、しだいに二人の距離は縮まっていった。彼女には少しずれたところがあ
った。真っ白な紙に線を引く。手にしたパステルカラーのクレパスから、混じりけのな
い原色が溢れ出していく。まっすぐのようでどこか曲がって見える線。あるいはまっ
すぐだからこそ、どこか歪んで思える直線。彼女はそういう女の子だった。
  
 人はある程度の年齢になると、自分の感情をコントロールできるようになる。彼は
無意識的にブレーキをかけていた。16歳という年の差、自分の社会的現状、そし
てなによりも「俺がこんなガキを好きになるわけがない」と。イガラシさんはこのとき
まだ気付いていなかった。そう思っている時点で、すでに彼女に恋をしているという
ことに。

 彼が素直に自分の気持ちを認めたのはいつだろう? 彼女への想いに気付いた
彼は、今度は意図的にブレーキを踏み続けた。自分をなだめすかし、言い聞かせ、
ときには彼女から目を背けた。それでも脳裏にはいつでも彼女の残像が残った。い
るはずのない場所でも彼女の姿を探しはじめた。その日、彼女と交わした会話を頭
の中でくり返すようになった。恋愛の力学は彼を離さなかった。走り出したものは、
もう止まらない。

 告白は暴走というかたちを伴っていた。彼女とのメールのやりとりの中で。普通に
考えれば、そこは挨拶程度のメールを送るべきタイミングだった。彼女にとっては不
意に訪れた電子的恋文。時計の針は進まず、彼女からの返事はこない。イガラシ
さんはひどく落ち込んだ。食事が喉を通らなくなり、立っていることも座っていること
も寝ることもできない状態に陥った。状況的に見れば、彼女は彼を受け入れることを
拒んだように思えた。

 ある日、テラスでひとりで食事をする彼女を見つけた。イガラシさんは和解と心の
平穏を求めていた。彼女を得ることができなくても、以前の関係を取り戻したかった。
決意して彼は彼女の元へ話しにいった。二人は率直に話し合う。彼女は彼を友人
以上に見ることはできないと言った。それでもイガラシさんは幸せだった。そこには
以前より親密な空気が生まれつつあったから。恋愛には迷えるポジションが存在す
る。端的に示すことができない微妙な位置。それは常に揺れ動き、一定の場所に
留まることがない。友人と恋人のあいだ。特別な異性。恋人として受け入れることが
できなくても、ほかの人には渡したくない存在。

 イガラシさんは彼女にとってのそうした存在にたどり着いた。第三者から判断する
かぎりでは、彼女もまたブレーキをかけているように思えた。それが恋以外のなに
ものでもないことに気付くのは、たいてい相手を失ってからだ。あるいはあとで後悔
することがわかっていても、先に進むことができない理性があるのかもしれない。
そういうものだ。
 
 二人はこの一週間、顔を合わせていなければメールもしていない。どちらかが動か
ないかぎり、再び実際に会って話すことはないだろう。時間は記憶や印象を薄めさせ
る。二人の関係が時間という概念に勝るのかどうか、僕にはわからない。イガラシさ
んは話しの締めくくりに、彼女への想いをこんな言葉で称した。

「トゥルー・ラブですわ」

 思いっきり関西弁。シリアスタッチをぶち壊してくれてありがとう。


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January 04, 2005

リーダー資質

 おそらく、誰にでも持って生まれたものがある。それは運動能力かもしれないし、
人目を引くルックスかもしれない。やたら“あやとり”がうまかったりする能力なの
かもしれない。東京タワー。蜘蛛の巣。地味な技だね、それ。まあいいや。僕が
先天的になにを持ってこの世に生まれ落ちたかはいまだに不明。覚醒の時はま
だか。そいつがゴミでないことを願う。拾う気にもなりゃしないね。
 
 僕は某プロバイダの某コールセンターでバイトをしていて、そこにはトラブルを
抱えた人々がどいつもこいつも「インターネットに繋がらなくなりました」と電話し
てくる。で、僕らはそれにたいして「知ったことか!」と声を揃えて答えるという仕
組み。研修でそう答えろって教えられたし。そんなふうにして僕の職場は成り立
っている(ウソ連発中)。

 今年から職場で少しばかり昇給し、僕はリーダーと呼ばれるポジションにつく
ことになった。リーダー。もう一度言ってみる。なんだか偉そうな響きだ。
「労働者階級二等兵」とかいう呼び名に変えてくれないかな。その方が落ち着く
し(そう?)。べつにリーダーと言ってもたいしたことをやるわけじゃない。スパル
タカスのように人々を率いて闘わなきゃならないわけでも、ケネディのようにキュ
ーバ危機を乗り切らなきゃいけないわけでもない。フロアをうろついて、みんなに
「やあ、最近はどうかね?」とか、「指の毛ってなんのために生えてるの?」とか、
「香水をつけない君って最高に素敵だよね」とか言ってればいいという噂もある。
うん、たぶんこの認識間違ってるけど気にせずに続けよう。

 これはスタンスの問題でもあるので、僕はけっこう迷った。極力そういうポジショ
ンは避けて生きてきたので。根がいいかげんなせいか、自分の好きなこと以外は
責任を持ちたくなかったりする。「適当に楽しくやろうよ」というのが僕のアルバイト
における基本スタイルであり、「だって俺たちバイトじゃん」というのが僕と仲間たち
の共通認識というわけだ。
 サービス業をやってる人はご存知かと思うけど、職場で「お客様の気持ちになっ
て~」なんて言葉を耳にするでしょう? あれってウソくさい臭全開だね。これまで
生きてきた個人的観測から言えば、奇麗事ってのは絶対に人の心に届かない。
ほんとにお客様のためになれちゃう人はサービス業の申し子か、バイトチームから
みれば異次元を生きている人だと思われる。未知との遭遇。ごめん、僕にもわかる
言語で話してくれる?

 僕は資質的にそういうことを言えないし、そういうことを言う気もさらさらない。かつ
てサッカー日本代表にはキャプテン不在の時代があった。闘将・ 柱谷哲二が去っ
たあと誰がキャプテンシーを発揮するのか。その当時のキャプテンは井原だった。
確か井原はこんなことを言っていた。

「何も声を出してみんなを引っ張ることだけがキャプテンシーではないと僕
は思っている。寡黙であっても僕はプレーでみんなを引っ張っていきたい」

 ふむ。井原と日本代表は苦戦しつつもフランスW杯にたどり着いたことはみなさ
んご存知のとおり。リーダーシップと言ってもいろいろなスタイルがあるというわけ
だ。そんなわけで、僕は僕なりのスタンスでリーダーというポジションを確立してい
こうと思う。
 こんなふうに書くと、僕がけっこうな決意でリーダーに臨むように聞こえるかもしれ
ない。場合によっては、影ながらジーコの「リーダー論」を熟読していると思われて
る恐れもあり。ここらで一言。

 そんな気はぜんぜんねえって話。知ったことか。(あっ、でた)


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January 02, 2005

ドトール派のベローチェ的休日

 
 毎年、新年はベローチェで過ごす。僕は言わずと知れたドトール派だし、四季を通し
てアイスコーヒーを飲むスタイルを打ち出しているが、新年はドトールが休みなので
仕方なくベローチェへ行くはめになる。どれだけドトールに焦がれてみても会えないと
いうわけだ。だって休みだしね。僕は遠距離恋愛ができないタイプかもしれない。ドト
ールの年明けの開店すら待てないんだから。ちょっとした浮気。できごころ。君の肩
から腕にかけてのラインが好きだから。その他いろいろ。

 こういう店舗って地域密着だなあといつも思う。僕がいつも出勤前に通っているドト
ールなんかもそうなんだけど、話したことはなくても顔を知ってる人がたくさんいる。
そんな人々同士が挨拶を交わしているのを見たことがある。ここもたぶんそういう感
じなんだろうと。初老の人がやたら多い。熱心に本を読んだり、余生をたわいもない
会話で埋めようとしたり。
 こういうのってちょっといいなあと思う。昔でいうところのサロン的雰囲気というか。
見知らぬ人生が交わる場所。どうも、お久しぶりです。最近見かけませんでしたね?
いやいや、どうにも腰痛がひどくてね。あなたは若くていいねえ。そうでもないですよ、
最近こちらも疲れ気味で。若い人がなに言ってるんだか。どうもすみません。あなた
の世代に希望はあるのかな? 希望ですか? あんまりないですねえ。僕くらいの
ときって希望はありましたか? あったよ、抱えきれないくらい。

 世の中には人と話すのが嫌いな人っているでしょう? あれって不思議だ。けっこ
うおもしろいのに。僕はたぶん、基本的にはひとりでいるのが好きな会話好きだと
思われる。よくわからないけどそういうタイプ。ほかの人がなにをどう感じ、どんなこ
とを考えて日々を生きてるのか知りたいので、けっこうどうでもいいことをやたらと話
かけたりする。そんな日常会話の中から学べることってけっこうある。なんだかすご
く印象的なフレーズに出会ったりもする。最近、僕がいちばん感心したのは、その夜、
友人が女の子から言われたらしいこんな言葉。

 自分、自分ばっかりじゃない。

 まさに名言。どうもすみません。胸に染みたよ(なんで?)。友達に代わって君にあ
やまっておこう。君が誰だか知らないけど。
 誰でもひとつくらいはおもしろいエピソードを持っている。それを聞かなきゃ損だなあ
と。そういう話を聞かせてもらってから親しくなることもけっこうある。人は見かけによら
ない。
 たぶん、だから人はおもしろい。

 

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January 01, 2005

リスナーのみなさん、元気かい?

やつは太っているから速く走ることはできないはずなのに
俺よりも速い
ゆうべ 俺たちはショーでやつを見かけた
やつは酔っぱらっていた
お前は歩いて 話す
お前は俺のウォーキー・トーキー・マン


 やあ、どうやら年が明けたらしいぜ。いまだに俺に一通もメールが
こないってのはどういうことだい? まあいいや。リスナーのみなさん
元気かい? 某HP以来だな。久しぶりにラジオ形式でお送りしてる
ぜ。今日の1曲目はSTERIOGRAMの「ウォーキー・トーキー・マン」。
ニュージランド発の底抜けに明るいガキどもだ。それにしてもどうでも
いいこと歌ってるよな、こいつら。カボチャの食いすぎかもしれないな。
まあ、とりあえず年が明けたので調子よく行こうってことで。

 2005年、時刻は新年を30分を回ったところ。恋人と過ごしてる
あんたはぞんぶんに愛し合ってくれ。友達と過ごしてるあんたはとに
かく騒ぎまくれよ、若いんだしさ。そうそう、俺の友達が去年結婚した
んだ。めでたいだろ? おめでとう、二人の新年はどうだい? 邪魔
したら悪いからメールは控えておくよ。え~、それからひとりで過ごし
てるそこのあんた。来年があるさ。お気の毒。カボチャでも抱いて寝な。
んじゃ、今日の2曲目…‥やべえ、何も思いつかない。とりあえずベタ
にPRIMALの「ロックス」で。


祈っても無駄だぜ 結局そういうもんだベイビー
ジョニーは完全にブッ飛んでるわけじゃない
奴は女に囁く甘いセリフをいつも用意してる
悩みなんか忘れて 
やろうぜ ハニー
さあ シェイクしろよ
ダウンタウンへ繰り出そう


 周波数は75.3、ラジオCOCOLOGから「魚群探知機は夢見る」をお送
りしてるぜ。いま、またなんとなく携帯を見ちまったよ。俺はいったい誰か
らのメールを待ってるんだ? 友達のウナバラくんからフライングぎみに
11時頃にメールはあったけどな。どうせなら年明けによこせ。しかも一括
送信だったしな。びっくりするね。ついでにいうと、俺の別の友達は性根
の腐った女とけっきょく付き合ってるらしいぜ(どうでもいい情報続報)。

 新年といえばあれだ、豊富。せっかく新しい年になったんだからな、気持
ちも新たにはじめないと。俺? 俺の豊富はどうでもいいって。カボチャでも
栽培してコロンビアに輸出するよ。自殺点で射殺されるくらいの国だからな。
すごいだろ? たかがサッカーだぜ。そんな国なら、俺が作ったカボチャも
何かの役には立つだろうって話。俺のことはいいからさ、あんたの豊富が
聞きたいね。まあ、とりあえず何かを成し遂げようぜ。お互いな。ほかの人
から見てくだらないことでも、あんたが納得すりゃそれでいいさ。世のバンド
マン、売れない役者、さえない物書き、夫婦芸人、恋する男たち、恋する女
たちに幸あれ。

 そろそろお別れの時間がきたみたいだぜ。なぜなら俺はもう眠いからな。
寂しい? お世辞は寝て言え。意味わかんないけどなんとなくわかれよ。
どいつにもこいつにも、目が覚めたら2005年の朝が待ってるぜ。日は
また昇る。ヘミングウェイ。きっと悪くない年になるさ。んじゃ、今日最後
の曲、懐かしきjesus jonesから「ライトヒア・ライトナウ」。


ラジオで女が革命を語る
それも既成の事実として
ボブ・ディランが歌っていた時代 こんなことは夢だった
なあ 生きるっていいことだぜ
 
 

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