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6 posts from April 2005

April 28, 2005

ある個人史の記録・2


 関係というものは、いつどこで変化するんだろう?

 それは形を変える。段階から段階へ。その連なりの境目は、はっきりしなかったり
するものだ。どうでもよかったヤツが突然、友人と思えるようになる。ある日からふと、
その女の子のことを思い浮かべるようになる。なにがきっかけかもわからず、気がつ
けば僕らは次の段階を迎えている。それは心が認識するものだ。ああ、今までとは
もう違うんだな、と。

 書くという作業は結局のところ、過去を遡ることだ。記憶を辿り、そこへ再び自分を
置いてみようとする。1991年の街並みと喧騒を思い返す。断片的な記憶。パンフレ
ットの数を数えていた彼女。バイトの帰り道、僕と彼女は並んで最後尾を歩いた。何
度も撮った集合写真。彼女がよく言った台詞、「また怒ってるの?」。みんなでドライ
ブへ行ったとき、はじめて彼女は帽子を被ってきた。帽子を被った彼女を見たのは、
あとにも先にもこのときだけだ。時系列は前後して、さまざまな風景が脳裏をよぎる。
おそらく僕はこの瞬間、また彼女に恋をしているし、また彼女を失っている。

 その年の夏から秋にかけて、僕らは毎日のように飲みにいった。誇張もないくらい
毎日出かけていたと思う。そんなふうに職場の仲間たちと大勢で遊びながら、僕と
彼女は距離を縮めていった。いつ頃からか、僕は彼女に受け入れられているなと感
じるようになった。僕らは顔を合わせるたびに気楽な挨拶をし、微笑みを交わして、
ときには相手への気持ちをほのめかした。「いかにも」でしかなかった僕は、いつの
間にか彼女のなかで別の存在に姿を変えていた。ありがたいことに。

 ボーリング大会があり、社員旅行があった。ボーリング大会で、僕はろくでもない
スコアを叩き出して彼女の笑いを誘った。ビリヤードの方が得意なんだと言い訳して
みても、残念ながら玉突き台は置かれていなかった。社員旅行では、ちょっとした一
幕があった。宴会で彼女はひどく酔っ払い、重役のオッサンに絡まれて泣き出した。
彼女は涙を武器にするタイプの女の子ではなかったから、そこは短気で有名な僕の
出番というわけだ。平気な顔で重役に「ふざんけんなよ、このジジイ」的な発言をして
みんなに取り押さえられる。いまは亡き僕の攻撃性。アグレッシブな男だ。微笑まし
くさえある。その後、このオッサンは僕が辞めるまで僕を嫌いつづけた。死んでること
を心から願う。
 酔っ払った彼女は個室に戻り、介抱役に僕を指名した。それはほかの誰でもなく、
光栄なことに僕だった。僕は浴衣を通して彼女の肌に触れる権利を得た。洗面台で
彼女は思いっきり嘔吐していたので、それほど色気のあるシーンではなかったけど。
それでも、そこにはある種の意思表示があった。許しと信頼。体温と背骨。このとき、
僕は「理性」と呟いたかもしれない。彼女の背中をさすりながら、好きな女の子であ
れば吐いていたってぜんぜん嫌じゃないんだな、と思ったことを覚えている。

 はじめて二人で出かけたのはもちろん映画だ。どちらから誘ったのかは覚えてな
いけど、たぶん僕なんだろう。渋谷パンテオン。もう今では存在しない映画館だ。
僕らはポップコーンを食べ、ひとつのコーラを回し飲みした。びっくりするくらい退屈
な映画――マイケル・J・フォックス主演の「ドク・ハリウッド」――だったが、もうこの
ときには二人でいれば楽しかった。帰りがけに彼女は、「つまらない映画だったか
ら、また別の映画を一緒に観にいこう」というようなことを言った。退屈な映画でむし
ろ大成功。マイケル・J・フォックスとかいう人に感謝を。それから、僕らは何度となく
二人で映画を観にいくようになる。

 僕にはずっと気にかかっていることがあった。そう、あの「いかにも」発言だ。それ
はずいぶんと僕を悩ませたし、僕にとってはナスカの地上絵に匹敵するくらいのミス
テリーだった。謎は解かれるためにある。そろそろ明かされるべきだと思った僕は、
街を歩きながらこんな感じで彼女に質問する。

「あのさ」
「なに?」
「前に、俺にいかにもって言ったの覚えてる?」
「いかにも?」
「そう。正確には、duzzくんってさ、いかにもって感じだよね」
「なんの話?」
「だからその話」
「私、そんなこと言った?」
「言った」
「ごめん、ぜんぜん覚えてない」

 無駄に苦悩していた男発見。覚えてなかったらしい。というより、そのときの僕は
彼女にとってどうでもいい存在だった恐れもある。確かに僕も、「3週間前の月曜日、
なにしてた?」って誰かに訊かれても答えられないだろう。そんなどうでもいい月曜
日のことなんて知ったことかって話だ。覚えてるかぎりでは、あれは少なくとも褒め
言葉ではなかったと思う。彼女は気をつかって忘れたふりをしてくれていたのかもし
れない。どっちにしても、もうこの謎が解かれることはないわけだ。たぶん永久に。

 紅葉が落ちはじめ、季節は間もなく冬を迎えようとする頃には、僕の恋愛指数はゲ
ージを越えつつあった。物事には限界がある。僕がそれに気づいたのは風呂場だっ
た。浴槽に体を沈めて、ちっとも外が見えない曇り硝子の窓を眺めながら、ついに来
るべきときが来たなと思っていた。僕はすでにどうしようもないくらい彼女が好きだっ
た。「このまま黙っていて、ほかの誰かに彼女を奪われるわけにはいかない」などと
思ったのを覚えている。いまは亡き僕の積極性。情熱的な男だ。微笑ましくさえある。
問題は、僕がそれまで告白と呼ばれるものを一度もしたことがないことだった。

 当然のことながら、それにはずいぶん時間がかかった。夜も更けはじめた西新宿、
よく整備された通り。連なる街灯の下で僕と彼女は並んで座っていた。偶然にも、こ
こは今の僕の職場から10分もかからないところにある。僕らは何度も「寒いよね」など
と言い合った。僕は最初の言葉を見つけられず、ときおり沈黙が辺りを支配した。目
の前に見えるワシントンホテルでは、いくつもの窓が夜に向けて淡い光を放っていた。
「いや、もうこの沈黙でわかるよね?」と言いたいところだったが、彼女は言葉にして
僕に言わせたいようだった。終いには二人とも笑い出した。たぶん沈黙に耐え切れな
かったんだと思う。そのあと、僕は自分の気持ちを言葉にして彼女に伝えた。僕の発
言に対して、彼女は笑顔で「はい。私も」と答えた。簡潔なものではあったが、それは
それで素敵な返事だった。

 そのようにして僕らは恋人になった。まあ、なんていうか、そのとき僕はとても幸せ
だった。この世の中に絶対はないし、先のことは誰にもわからない。が、残念ながら
今の僕は知っている。この幸せそうな若者が、いずれ彼女を失うことを。


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April 24, 2005

ある個人史の記録


 遠い昔の恋の話。

 それはおそらく僕の人柄を変えるほどの出来事で、僕という人物の個人史において
は歴史的失恋と呼んでもいいほどのものだった。ここ数年、そんなことなんてすっかり
忘れてたけど。先日、カメダさんと二人で友人の芝居を観に行った。その帰りに食事
をしたとき、音楽の話をしているうちになぜか恋愛的な話題になり、僕はその恋を思
い出したというわけだ。やけに鮮明に。ネタのひとつにもなりそうなので、ここで振り
返ってみようと思う。


 1991年のことだ。GUNS N'ROSESがやたら長い2枚のアルバムをリリースした年。
当時、僕は18歳で売り出し中だった。何を売り出していたのかはよくわからない。と
くにアピールできるものはなかったが、根拠のない自信に溢れ、見渡すかぎり世界は
僕のものだったし、まだ夢も野望もなかったけど、その気になればどんなことだってで
きると思っていた。懐かしき1991年。人々はまだITなんて言葉をまるで知らず、携帯
もパソコンも普及していなかったから、コミュニケーションは主に言葉と肌を通して伝え
られていた。恋人たちは約束だけを信じて街角で待っていた。これは、そういう時代の
話だ。

 簡単に当時の僕を説明しておこう。まあ、なんていうかひどく若かった。イキがってい
たと言っても過言ではない。髪質がストレートだったように、態度もストレートだった。女
の子を「おまえさ~」とか普通に呼んでたし、機嫌が悪ければ「うるせえな、黙ってろ」
などとも言える男だった。ついでに補足事項を入れておけば、当時の僕は短気で有名
だったりもした。いや、マジでね。僕にもそんな年頃があった。

 僕とその彼女は映画館で出会った。映画を観ていて偶然に、というわけじゃない。
僕は当時、映画館で働いていたので。その映画館は大雑把に説明すると二つあって、
片方が僕の所属する映画館で、もう片方が彼女の所属する映画館だった。その夏、
たぶん「ターミーネーター2」のヒットのおかげだと思われるが、僕はヘルプとして彼女
の働く映画館に借り出されることになる。運のいいレンタル移籍。シュワルツネッガー
とかいう人に感謝を。そこで、僕は彼女を目にするわけだ。

 彼女は場内の売店の中にいた。制服は上下とも紺のブレザーにスカート。低い天井
の照明を浴びて、彼女は職場の仲間たちと話をしているところだった。一見、冷たそう
に見えるけど彼女はよく笑った。誰かが何かを言うたびに笑うという意味ではなく、笑
うときは声を上げて思いっきり笑う女の子。お世辞にも控えめなタイプではなかったと
思う。それでも、若かりし僕の恋愛センサーは瞬時に彼女を捉えていた。はっきり言っ
てほかの女の子たちはどうでもよかった。そいつはエマージェンシー的な状況だったし、
下手すると興奮しすぎて「火事デス、火事デス」とか間違った警報を発していた恐れも
ある。

 そんなわけで、見たところ彼女は疑いようもなく僕の好みの女の子だった。結局は
見た目なのか、という反論は甘んじて受け入れよう。なぜなら僕は彼女の容姿とその
たたずまいがとても好きだったので。白い指がパンフレットに触れている。俯いた横顔
に、後ろで束ねられた髪。ほっそりとした腰。足は膝から「く」の字に曲げられていて、
革靴の爪先が床に向けられている。ショーケースの前で、パンフレットの数を数えてい
たときの彼女の姿だ。よく覚えてるもんだな、こういうのって。当時の僕はそのくらい夢
中で彼女を眺めていたのかもしれない。 
 
 人は恋をすると途端に情報収集家になる。僕はさりげなく彼女の情報を集めた。彼
女は20歳で、僕より2つ年上だった。京王線で職場に通っていて、音楽はGUNS N'RO
SESがお気に入りらしかった。そして、噂を信じるのであれば彼女に恋人はいないよう
だった。僕がその噂を信じたがっていたのは言うまでもない。今にして思えばたったの
2つの差であるのに、「やばい。敵はすげえ大人だ」とか僕は思っていた。僕は密かに
接近の機会を計っていた。ある日、それは訪れる。レンタル先の同僚に誘われて飲み
に行ってみると、そこに彼女がいた。

 忘れもしない、場所は新宿ラインゴールド。彼女を目にした僕は再びエマージェンシ
ー的な状況に陥っていたし、「黄金を抱いて飛べ!」とか意味不明なことを言い出しそ
うなくらい舞い上がっていた。なぜなら、僕の向かいには彼女が座っていたので。それ
は、今まで僕が彼女を眺めてきた距離ではなかった。彼女の睫毛まではっきり見えた。
その瞳も。ボクサーに例えるなら、足を使って距離をとるアウトボクサーが、いきなりイ
ンファイトを挑まれるようなものだ。ふいに訪れた接近戦。そう、こいつは僕の得意とす
る距離じゃない。近い、近すぎると僕は思っていた。
 構成は僕と彼女を含め、男二人と女二人だった。自分がこのとき何を話したのかま
ったく覚えていない。ただ、会話の途中で彼女が僕に言ったひとことは、今でもはっき
り覚えている。彼女は僕のことをこんなふうに評した。

「duzzくんってさ、いかにもって感じだよね」
「いかにも? なにが?」
「べつに。なんとなく」

 そう言って彼女は笑みを浮かべた。暗号化された謎の言葉と遭遇。この発言は、
その後の僕をひどく悩ませることになる。イガラシ式恋愛ロジックくらいの勢いで。い
かにもってなんだ? いかにも売り出し中? あるいはいかにもクレイジーの息子な
のか? さっぱりわからなかった。その日、もちろん僕は彼女の家の電話番号を聞
けなかったし、謎の言葉は謎のまま、時間だけが過ぎていった。


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April 19, 2005

世界の果てへようこそ


 朝目覚めて、まず何を望む? それはたぶん、べつの朝だ。平行に並ぶもうひとつ
車線のような。あるいは、その角をもうひとつ曲がったところにある人生。煙草に火
を点ける。それから室内をU2で満たした。えらく久しぶりに聴いたね、U2。めんどう
だなと思いながら歯を磨く。鏡の中にいる早朝の僕は確実に20代を過ぎていた。
お気の毒、と僕は小さく呟く。

 まだ名前さえついていない通りで
 まだ名前さえついていない通りで
 僕らはいまも築きつづける

 髪を整える。長年自分でいると、自分に飽きてくるって感覚わかる? それでもこ
の世界は僕を中心にまわっていた。支点。両足で、いまこの瞬間を支えること。とき
にはU2気分の一日にしようと思い、「ALL THAT YOU CAN`T LEAVE BEHIND」を
CDウォークマンにセットする。玄関で靴に足を通して、家のドアを開けた。僕にとっ
て、ある意味ではここが世界のはじまりであり、ここが世界の果てだ。
 ここでは時代のうねりを肌で感じることなんてできるはずもない。時は2000年を過
ぎ、僕が憧れる60年代は遥か遠くにあった。ムーブメント。やたら広い農場に集まっ
た若者たち。僕もウッドストックに行きたかったなと思う。6階から見下ろす世界はい
たって普通だった。誰も「革命!」と叫ばなかったし、誰もロウソクに火を灯して街を
行進していなかった。

 心は花のように 石だらけの地面を突き抜けて伸びていく
 でもこの街には部屋がない 借りる場所がない

 ドトールの窓際で本を読む。例によって時計は8時を数分過ぎたところ。アイスコー
ヒーをかき混ぜながら窓の外を見ると、舗道を見知った顔が歩いていた。僕の職場
ではバイトなのに異動があったりする。最近まで、僕は彼女と一緒に働いていて、
何度か煙草を吸いながら話をしたことがある。彼女は歩きながら窓越しに手を振っ
た。笑みを返す。彼女は信号を渡って歩き去っていった。こういうのってちょっといい
よな、と僕は思う。窓越しの二人。目でする会話。ひどく親密な感じがする。微笑み
あうだけで伝わるような。素敵だね。男と女という意味では、僕らはお互いにまるで
興味を持っていなかったけど。

 夜が深く息を吸い込んで
 昼の光に空気がなくなっても
 這っていったら 這って家にたどり着いたら
 君はそこにいてくれるかい?

 朝のエレベーターの中は相変わらず沈黙している。そこはかとない気まずさが漂っ
ている。いまこそ「革命!」と叫ぶべきであるような気がするが、クレイジー扱いされ
そうだから我慢する。ロッカールームに鞄を入れる。昨日まで死んでました、と言い
たげな顔の同僚たち。おはよう、マジ眠いよな。僕はまだいくらか自分の世界を抜け
出せないまま通路を歩く。入館証。警備員。セキュリティゲート。指紋認証。こういう
のって退屈な芝居だね、と僕は思う。整然と並ぶパソコンの電源を入れてまわる。
ひどく機械的な景観にこもった室内の空気。陽射しの当たり過ぎる窓。僕はブライン
ドを降ろしながらこう思う。で、ここには何がある? 何もない。

 ジーザス ちょっと手をとめて
 溺れかけた男に一筆書いてくれますか
 この世に平和を

 フロアが人で増えてくると、ようやく人間味が感じられるようになる。そこには人々
のささやかな営みがある。若者たちは今日も元気だ。若くない奴らも今日を生きて
いる。一日を通して、僕はルーチンワークをこなしながら会話をする。おそらく、この
職場では会話が唯一の救いだ。自分の世界を抜け出して、それぞれの足が支えて
いる世界と接触する。僕らはたわいもない冗談を言う。久しぶりに会った人と現状報
告をする。女の子の話をして、恋の話を聞く。バンドマンや役者たちは活動状況を教
えてくれる。ここには悪くない人たちが揃っている。ときどき、自分を取り囲む人々を
眺めて、僕は恵まれているのかもしれないなと思う。

 美しい日だ 空が降ってくる
 君には美しい日だと思える
 なんて美しい日
 みすみす逃さないで

 親しき人々とそれなりに一日を楽しみ、僕は仕事を終えて家路を辿る。疲労が隠せ
ない年頃になっているのは否めないけど。鍵を使って家のドアを開ける。世界の果て
へようこそ。家族との会話。あんた、よく中途半端に眠れるわね。寝るね、なぜなら
俺は眠いからな。夜が更けてくると目を覚まし、食事をして、いつものようにパソコン
の前で煙草を吸う。今日は何か書けるかな、と考えながら。

 そして、僕はまた世界の果てから夢を見る。

 

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April 17, 2005

若者との対話・その2


 趣味、趣味、って思いながらやってます。

 都内某所の広場にて。その対話はセッティングされたものではなく、偶然にやって
きた。僕はいつもカメダさんやdareさんと休憩をともにしている。が、その日は二人と
も休みだった。こんな日もある。幸いなことに、僕の鞄にはお気に入りの本が入って
いた。最初の春の到来を感じさせるような素敵な天気だったので、僕はひとりで広場
へ向かった。ここは休憩時になると、あたりで働く人々で賑わう場所だ。並べられた
木製の丸テーブル。陽気に誘われたのか、ほとんどのテーブルは人々で埋められて
いた。じゃっかん無駄のように思える螺旋階段から広場を見下ろすと、そこに彼女が
ひとりで座っているのが見えた。春物のコートを肩にかけて。

 彼女はけっこう最近入ってきた女の子で、まだ19歳だったりする。僕とはこれまた
10年以上も歳の差があることになる。彼女はその振る舞いから、“じゃじゃ馬”として
僕らの間で認知されているが、それはそれで魅力なのだと思われた。僕はそのテー
ブルに歩み寄って彼女に同席を申し出る。歓迎されていたかどうかは定かではない。
とりあえず「あっち行けよ」とは言われなかったし、ありがたいことに「顔を洗って出直
しやがれ」とも言われなかった。そのようにして今回の対話がはじまった。

 陽気は暖かく、見上げる木々は薄い緑に彩られていた。僕らはテーブルを挟んで
語り合った。その間、僕はアイスコーヒーとパンを食べ、彼女は主にサラダを口へ運
んでいた。最初の方の会話はあんまり覚えていない。たぶん、「もう春だなあ」とか、
「春ですねえ」とかそういうの。そんなことを言いたくなるくらいの良い天気だったから。
人間関係においては二人でないと聞けない話というものがある。なので、僕は二人
になると唐突に突っ込んだ質問をする傾向がある。前回の若者との対話でいうところ
の、「で、君の将来的ヴィジョンはどんな感じ?」などがその典型的なパターン。でも、
僕は今回そういう質問を彼女にしなかった。

 なぜか? 正直に言えば最初、僕は彼女のことをかわいいだけの女の子かと思っ
ていた。世の中にはそういう女の子が存在する。確かにかわいい、でもそれだけ。
心に訴えるものが何もない。どういう経緯でその話に到ったんだろう? 僕らは適度
に会話を楽しんでいた。たぶん、僕が試しにお得意のよけいなコメント、「何かはじめ
てみたら?」みたいなことを言ったんだと思う。少し思い切ったように彼女はこう答え
た。「じつは私もやっていることがあるんです」
 彼女は僕の知らないところで、密かに女優を目指していた。映画に出演するのが
夢でワークショップなどに通っていることを教えてくれた。やっぱり人ってのは、ちゃ
んと向き合って話してみないとわからない。おそらくそれは僕にとってその日いちば
んの驚きだったし、実際に口に出して「俄然、興味が沸いてきたね」と言ったような
気もする。その瞬間から、僕のなかで彼女の捉え方が変わった。僕の基本姿勢は
昔から決まっている。何かを目指す人に一票入れること。
 
 休憩時間が終わるまで、僕らは彼女の可能性について話し合った。そのあいだ、
彼女は一度も“女優”という言葉を口にしなかった。口にするのが恥ずかしかったの
かもしれないし、それを言葉にしたら安っぽくなってしまうと思っていたのかもしれな
い。誰かに夢を話すというのは、それなり勇気がいるものだ。結果が出なくても誰か
に近状を尋ねられることになるし、それが本気であればあるほど、自分が試される
場所でうまくいかなければ落ち込むものだから。彼女がそういう話をしてくれたことを
嬉しく思った。そして、何かを目指す人に出会って僕はまた刺激を受けた。
「趣味、趣味、って思いながらやってます。傷つきたくないので、趣味、趣味って」
今年最初とも思える春の日、彼女は印象的に微笑んでそう言った。

 それからしばらくして、彼女から朗報が届く。オーディションに合格して自主制作映
画に出演が決まったそうだ。よかったね、ほんとに。これは彼女にとって大きな一歩
なのだと思う。現場を肌で感じることで刺激を受けるだろうし、今後こうした仕事を続
けていく上でも、きちんとしたオファーを受けた経験があるのとないのではまるで違う。
遊びではないぶん重圧はあるはずだし、自分が試される場所は怖いものだけど、彼
女は芯の強い女の子だ。きっと、なんとか乗り切っていくだろう。
 映画の世界には、かわいくて美しい女の子がごろごろいるのだと思う。成功を掴む
のは相当に険しい道のりだ。自分が成功している姿をリアルに思い描くことさえ困難
であるかもしれない。でも、彼女はまだ19歳だ。それでいいのだと思う。夢として思い
描くだけで充分だ。彼女は可能性に溢れている。これからいろんなものを吸収し、と
きには挫折して、彼女は人として成長しながら、やがて自分に本当に必要なものに
気付くだろう。それが女優であれば素敵だなと僕は思う。

 自主制作映画は間もなくクランクインする。職場での彼女は普段、けっこういっぱい
いっぱいで仕事をしている。ときには暴言を吐く。飲み会では、あんまりやりたくない
のに周りの期待に応えてはしゃぎ過ぎたりもする。そんな彼女がフィルムのなかでど
んなふうに映るのか、今、自分がいちばん存在していたい場所でどんな表情を見せる
のか、僕はとても楽しみにしている。


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April 06, 2005

決意表明


 さて、そろそろ僕の番だ。

 ここ最近、イガラシさんから“心のありよう”についての話を聞いたり、親しき人々
の密かな夢や今年の野望などを聞いて、僕もはじめなきゃなと思った。就職して
新しい環境に踏み出した人もいる。季節は春。僕だけがここで立ち止まっている
わけにはいかないだろうと。

 いってみれば、これは僕の決意表明だ。決意表明、ちょっとかっこいいね。言っ
たもん勝ちってことでよろしく。あるいは自己暗示。こうして言葉にして書き残すこ
とで自分に暗示をかけ、ついでに逃げ場をなくそうという狙いであったりもする。
僕は暗示に弱いタイプの男だ。なので、星占いなどはここ10年くらい見ていない。
いや、マジでね。雑誌をめくっていてそのページがあると、ものすごい勢いで飛ば
すことにしている。嫌なんだよね、誰かに勝手にラッキーカラーなんかを決められ
るのが。そもそもラッキーカラーってなに? 青い服でも着てればいいことでもある
のかい? 悪いね、占い師さん。あんたの思いつきで僕の日々を左右されるわけ
にはいかないんだよ。どうせ相談するなら、あんたじゃなくて友人にするよ。もっと
深くコミットしている人たちにね。僕の人生にあんたは必要ない。

 この休日を利用して、僕はひとり作戦会議を行った。議題は僕の今後の展開に
ついて。議論は白熱し、それに比例して煙草の吸殻は増えていった。そこには挑
もうとする僕と、逃げようとする僕がいた。僕はこの逃げようとする僕が嫌いだった。
が、こいつは今までずっと僕にまとわりついてきたし、おそらく今後も僕をストーク
しつづけるだろう。厄介なヤツだ。今回、僕はそいつを暗がりから呼び出して、徹
底的に叩きつぶした。暴力的に。そいつが気を失っているあいだに僕は話をまと
め、前向きな結論にたどり着くことに成功した。

 ようやく今後の展開が決まると、いくらかの下準備を行った。無駄に終わるのも
覚悟のうえで。僕は自分を励ました。やらないかぎり、何もはじまらないだろうと。
あとは実行に移すだけだ。
 さっきも書いたように、僕はそれほど勇敢な男ではない。やるって決めたら即実
行ってわけにもいかなかったりする。よほど自信があるのでもないかぎり、自分が
試される場所ってのは怖いものだ。これはイガラシさんのいうところの“心のありよ
う”にも関わってくる問題で、常に心を見張っていないと人は逃げようとする。明日
にしようとか、まずは映画を一本見てからにしようとか、来月に入ってからのほうが
区切りがいいとか、とりあえず今のうちは遊ぼうとか。そうやってごまかしながら問
題を先延ばしにしようとするわけだ。逃げの姿勢で行ったものというのは、ほとんど
の場合、なんの糧にもならないし刺激にもならない。それはわかりきってる。それ
でも人はうまく言い訳を作ろうとする。そして、暗がりからは例のヤツが僕を覗いて
いる。僕は再びそいつを呼び出して叩きつぶした。暴力的に。

 それから、行動を開始した。

 そんなわけでこの休日、僕はやるべきことをやった。ここで決意表明している時
点でもうあとには引けないけど、それはそれで望むところだった。僕が密かに掲げ
た目標を達成するまでには継続的な努力が必要だ。結果はすぐに出ないかもしれ
ない。あるいは結果そのものが出ないかもしれない。それでも、いつかここでみな
さんに朗報を届けることができればいいなと思っている。そして、僕に刺激を与え、
行動を起こす気にさせてくれた友人たちに感謝を。

 ここは実際の僕を知っている人も、実際には僕を知らない人も見てくれていると
思う。いい機会なのでお礼を言っておきたい。どうもありがとう。
 そんなみなさんに一言。さて、次はあなたの番です。四月、決意表明の季節。
心の中でもいいので、どこかの国の大統領より高らかに宣言してください。僕はあ
なたに投票します。例のヤツが「無理だって。やめとけよ」とか囁きはじめたら叩き
つぶしましょう。密かな夢を抱きつづけてください。勇気を持って行動して、いつか
僕に朗報を届けてくれることを願ってます。今日は最後にこの曲をみなさんに送ろ
う。もちろんR.E.M.で、「Losing My Religion」。
 

 ああ 人生はずっと大きい
 君よりもずっと
 そして君は僕ではない
 僕が行こうとしている距離は
 君の目から見れば遙か彼方だ
 僕はあまりにも話し過ぎてしまった
 すべてを言ってしまった

 僕は追い詰められて
 スポットライトに照らされている
 信じる心を失っても 考えをなくすまいとしてる
 でも そんなことできるのかどうかわからない
 ああ あまりにも多くを話してしまった
 それでもまだ言い足りないんだ

 君が笑うのが聞こえた気がした
 君が歌うのが聞こえた気がした
 君が努力するのを見たような気がするんだ


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April 02, 2005

桜の季節


 そんなわけで、桜の季節だ。

 四月。人々は新たな環境にその足を踏み出す。君はそこで馴染みのない風景を見
る。建ち並ぶ高層ビルと真新しいスーツ。君はもう一度、自分の服を整えてみたりす
る。うまく着こなせていないような気がして、いくらか気後れしてしまう。信号が青に
変わると、人々は歩き出していく。前へ、前へと。頭上では桜の花びらが風に舞って
いる。君はひとつ大きく息をつく。そして、歩き出す。

 新学期、君は新しい庭を手に入れる。新しい顔ぶれと結ぶ、新しい人間関係。手入
れさえ怠らなければ、君は庭を自在に彩ることができる。その可能性に圧倒されてし
まうこともあるだろう。何をすればいいのかわからなくて、人任せにしてしまうかもしれ
ない。だけど、そこは君の庭だ。君はこっそりと種を植える。それは口にすることさえ
恥ずかしく、とても実現できるとは思えない“何か”だ。君は密かにそれが芽吹く日を
待ち望む。君は親しき者たちに囲まれている。毎日は笑いに溢れている。君は仲間
という言葉の本当の意味を知り、自分の新しい魅力と出会う。うまくすれば、そこは君
にとっての人生のルーツになる。 

 君は新たな職場にやってくる。そこでは君の能力が試されるだろう。毎日が新鮮で、
ときにはひどくハードで、君は喜びと同時に疲労感を覚えるかもしれない。君は名刺
に印刷された自分の名前を見る。君は新たなタイムスケジュールを刻み、お気に入り
のコーヒショップを見つける。日々は急速に流れゆくように思え、息をつく暇さえない。
ときどき、このままやっていけるのかと不安になったりもする。君はほんの少し前の自
分を振り返る。あっという間に遠くまできちゃったな、と君は思う。君ははじめて目の前
に立ちふさがる壁の手触りを知る。それでも毎日を生きなければならない。君は考え
る。自宅の一室で、駅のホームで、街の輝くネオンの下で。いずれ、きっと君はこう思
うだろう。やっていけるさ、と。

 新しい環境で、君は淡い感情を自分のなかに発見する。それは恋と呼ばれるものだ。
その存在は君を高揚させる。君はその人のなかに自分にないものを見る。気がつけば、
その人に会うことが日々の目的になっている。君たちは多くの時間をともに過ごし、いく
つかの共通点を見つけ、しだいに親しくなっていく。君にはすでに恋人がいるかもしれな
い。それでも、君はその人を心から追い払うことができない。その歩みに、振るまいに、
たたずまいに、ただ目を奪われる。君はその人に触れたいと思う。その人の本質を知り
たいと願う。想いが強くなるにつれ、君の動きは鈍くなっていく。今まで自然にできてい
たことができなくなる。君は話しかけるタイミングを計るようになる。話かけられるのを待
つようになる。その人の前でつまらないことを喋り過ぎたり、つまらないくらい喋れなかっ
たりする。こんなのは自分じゃないと君は思う。だが、それが恋をしている君だ。自分が
自分でいられないことで、君はその想いが本物であることを知る。

 君は新しい生活に順応していくだろう。音楽を聴きながらでも、本を読みながらでも、
無意識にそこへ通えるようになっている。君は友人たちの特徴をつかみ、適度なあし
らい方さえ身につけている。君には何人もの後輩ができている。君は自分のポジショ
ンを確立している。きちんと仕事をこなしながらも、息の抜きどころを知っている。君は
すでに、大人と呼ぶにふさわしい雰囲気を漂わせているかもしれない。知人に近状を
尋ねられれば、「順調だ」と君は答えるはずだ。それでも、君は時計の針を眺めるよう
になっている。窓を叩く雨が好きになっている。日々は緩やかに流れていく。君はとき
どき、退屈な毎日だと思うようになる。憂鬱な月曜日、君は得たものと失ったものとを
秤にかける。

 いつしか、君は懐かしい風景を目にするだろう。建ち並ぶ高層ビルと真新しいスーツ。
人々は流れていく。前へ、前へ。君は迷う、このまま足を踏み出すべきかどうかと。君
はひとつ大きく息をつき、空を見上げる。春風に舞う桜の花びらを見て、君はあの日の
自分を思い出す。心のなかでは、埋もれていた種が芽吹こうとしている。


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