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3 posts from August 2005

August 31, 2005

去り際は美しく


 部屋は人の心を表すと言われている。もしそれが本当なら、いま僕の心はかなり
散乱していることになる。ほとんど分裂症くらい。そのくらいの勢いで部屋にはCDと
か本とか資料とかが散乱している始末。放置しすぎ。まいったね、片付けるの面倒
くさい。家政婦希望。あるいは家事手伝い募集。ちなみに僕は、雑誌になどに出て
いる“街で見かけたオシャレな女の子”的なページで、写真の下に〔職業・家事手伝
い〕などと書いてあるのを見かけるたびに、「えっ、それはどんな職業なの?」とちょ
っと悩んでみたりする。他人の家で? それとも自分の家で? まあどっちでもいい
んだけどさ、そんなの。知ったことか(じゃあ悩むな)。

 そんなわけで散乱中のこの部屋。本棚とか収納などから本を出すたびに、きちんと
戻さないのが原因だと思われる。ほとんど映画関連の本だ。世の中には学ぼうと思
えば、どこかで習わなくても本から学べることがたくさんある。思うに、結局のところ
は意識の問題だ。僕は多くのことを本から学んだ。脚本や映画のこと。どのように生
きるかということについても。小説の中の人物に自分の人生を照らし合わせ、共感し
たり、ときには反発したりして、自分が望むべき――あるいはこうありたい――生き
方を探ってきたように思う。で、いまに到る。そいつはお気の毒。
 せっかくなので、本日は僕の部屋で散乱する書籍を紹介しよう。最初に書いたよう
に、最近は家では映画の本ばっかり読んでるもよう。

 そりゃね、何かもっと意味深遠なることが話せればいいですよ。私の魂の底
に何か偉大なものが潜んでいて、それがこれらすべての鍵なんだと言えれば
けっこうですがね。そんなものはないんですよ。映画は機械のメディアなんだ。
大事なことは機械を操る技術的な手腕であり、その機械に美的な喜びを出せ
ることです。

“マスターズ・オブ・ライト  アメリカン・シネマの撮影監督たち”より
 20歳くらいの頃に、撮影のことなんてさっぱりわからないのに購入した本。今こそ
熟読すべきだと思ったが、結局はすべて理解できないという。でも、相変わらずこの
本おもしろい。このコメントをしているのはマイケル・チャップマンという撮影監督で、
スコッセッシと組んで「タクシー・ドライバー」とか「レイジング・ブル」などを撮った人。
僕の記憶に間違いがなければ、「レイジング・ブル」のタイトルのところかな? デニ
ーロがガウンを着て、リングの上でステップを踏んでるシーンがやたらかっこよかっ
た。10年くらい前に見たのにいまだに印象に残ってるシーン。じゃっかんスローだっ
たような気もする。この本を読んで、そのシーンを撮ったのがマイケル・チャップマン
だと知った。たぶん、そういう画が欲しいといったのはスコセッシなんだろうけど、そ
れを視覚化したのはこの撮影監督なわけで、僕にそれだけの印象を残したシーン
を撮ったという意味で、この人は僕の中ではすごいヤツ。いや、本当にすごいよね、
10年経っても覚えているシーンを撮れるなんて。

 この場合、“美人に見える”という部分が、作品のクリアな要素になります。
“どういうものが美人なのか”は作品の狙いによって違ってきます。
 そして“どのように美人であるか”と描くことが作品のテーマになり、“その美
人がスポーツをやっている”というのが作品の発端になり、“その美人はふられ
てしまった”というのがストーリーのアイデアになり、“ふられた結果、美人はよ
り美人になった”というのが最終的なキーワードになります。
 その結果、“走ることの素晴らしさに目覚めた人は本当に美しい”というのが
アイデアとストーリーを帰結させるプロットになり、表現としては“その走り方と
は、呼吸をしないある一瞬”に表現の力点を置いてみる、ということで、こういう
ものに映像作家は燃えるのです。

“映像の原則  ビギナーからプロまでのコンテ主義”より
 自主を撮ることになって、はじめてコンテを割ってみたところ、面倒だけど意外とおも
しろいに気付き、せっかくなので勉強しようと思って買った本がこれ。作者は富野由悠
季。まさにガンダムの監督。実写を撮るのにガンダムの人からコンテを学ぶ人発見。
でもこれはこれで侮れなかった。上のコメントを読んで、「う~む、なるほど」と思わず
目から背びれが飛び出したしね(早急に医者に行け)。いや、実際は「う~む」とは言
わなかったけど。表現の力点かあ、ガンダムいいこと言ったなあ。

「大人に向けて作ったら、たぶん『あなたは生きてる資格はないよ』って話を
ね(笑)、力説するような映画を作るかもしれませんけど――(中略)――幸せ
な映画は作らないと思いますね。子供は可能性を持ってるということで、それが
いつも敗れ続けていくって存在だから、子供に向かっては語るに値するのであっ
て。もう敗れきってしまった人間にね、何も言う気は起こらないですよ僕は。と言
ってしまうとちょっと過激な発言になるんですけども。それもちょっと言葉の上で
は走りすぎてるのかもしれませんが」

“黒澤明・宮崎駿・北野武  日本の三人の演出家”より
 これまた20歳くらいのときに、兄が買ってきたのにパクって自分の物にした本。言わ
ずと知れたクリエイター、宮崎駿のコメント。ちなみに僕は、黒澤・北野両氏にはまる
で興味がなかったりする。ある程度の年を重ねてからこの本を読み返したとき、上の
コメント、とくに「子供は可能性を持っていて、それがいつも敗れ続けていく存在」って
ところにやたら共感した覚えがある。若さってのは可能性に溢れているんだけど、ほ
とんどの場合、それは敗れ続けていくわけで、そして僕も同じように敗れてきたわけ
だ。でも、敗れるにしても、その敗れていくさまに意義があるというか、たとえ一時期
であっても、それが未熟なものであっても、夢中になって挑んでいる人たちに僕は興
味を惹かれてきたし、一票を投じたいと思ってきた。すでに若くない自分に対しても
こう思う。自分でかっこわるいと思う敗れ方だけはすんなよ、と。
 ほんとに若さって素敵だね。いまこの瞬間、どのくらいの可能性と、どれだけのこと
をする時間があるのか、そのときはわからないものなんだけどさ。ちっ、じゃっかん熱
くなったな。ときどき熱くなるからな、俺。え~と、今の発言ぜんぶウソ(えっ?)。

 そんなわけで、本からはいろいろ学ぶことがあるって話でした。そして、いつの日か、
ついに観念して敗れ去るときがやってきても、「やばい、俺ちょっとかっこいい」という
敗れ方をしたいと思う。そんな32歳の長い夜。


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August 21, 2005

素晴らしきドトールの朝について


 みなさんは素晴らしきドトールの朝をご存知だろうか? それは素敵な時間の話だ。
ドトールならどこでもいいというわけじゃない。大きな窓があって、通りに面していて、
地下でなく――階上なら理想的――ある程度は開放感のある店舗でなければなら
ない。あなたの街でそんなドトールを見つけたら、朝の8時から9時くらいのあいだに
足を運んでみてほしい。注文はお好みで。僕の場合ならアイスコーヒーとベルギーワ
ッフル、あるいはシナモンロール。忘れてはならないのは、必ず窓の外が見える場所
に座ること。

 僕がいつも腰掛ける場所からは、通りに面して四つの大きな窓が見える。並んだ窓
はそれぞれに中央で仕切られているが、上下どちらからも外の世界を覗き込むことが
できる。差し込む陽射し。雑居ビルのあいだから見える空。舗道をゆく人々。その影が
通りに落ちる。お気に入りの音楽を聴きながら、僕は人々の足音を想像する。鈍い色
をしたガードレールが輝き、車道の向かいでは女の子が日傘を差して歩いていく。窓
際のカウンターには出勤を控えた会社員、初老の女性たち。カフェオレをかきまわす
ストローに、メンソールの煙草のけむり。そうしたものに目を移しながら、僕はその日
最初のコーヒーを味わう。パンを食べ終えたら、煙草に火をつけて本を読みはじめる。
おそらく、良い小説と過ごす朝というのは、好きな女の子と目覚める朝に似た静かな
喜びがある。言葉もなく微笑みあって、ただ流れていく時間を眺めるような。僕がその
日、鞄に入れてきたのは「シカゴ育ち」。こんな小説だ。

 それは何の心配事もなく、ひたすら何かに恋い焦がれる日々だった。砂浜に寝そべ
ってサングラスごしに世界を眺める以外、何一つすることもない日々だった。オークス
トリートビーチから見たシカゴの街は、僕らが夢見た街が現実になったみたいに見え
た。絵の具のように青い水平線に浮かぶ白い帆のヨットや、湖岸高速道の向こうで
湖を映し出す高層ビルのガラスの壁を、僕らはのんびりと、こんなもの毎日見てるさ
という顔で眺めた。光を吸い取る青い影はやがて琥珀色に深まり、燃えるようなオレ
ンジ色の太陽はきらきら光るビルの彼方へ沈んでいった。混みあっていたビーチもや
がて空っぽになり、足跡の筋がそこらじゅうに入った砂の上に、あばた面の月がふわ
りと浮かんでいた。もう帰る時間だった。
「廃坑へ戻ろう」僕らのうちの誰かがふざけてきっとそう言った。

 本を読みながら、ふと窓の外を眺める。そうやって窓を通して朝の街に目をやると、
なぜだか空気が澄んで見えるような気がするから不思議だ。世の中は肉眼で見るよ
りガラスを一枚隔てたほうが透明感に溢れて見える。映画でフィルムが及ぼす効果
と同じなのかもしれない。僕はそんなことを思う。窓の外では、人々が同じ方向へと
歩いていく。歩調はさっきより速くなりつつある。ときおり風が吹く。車道に駐車したト
ラックから配達員が荷物を降ろし、横断歩道の前では数分の人だかりが厭世感を共
有している。そして、また思い出したようにガードレールが鈍くきらめく。ドトールから
客が去り、また新たな客が入ってくる。僕はふたたび本を読みはじめる。

 ある晩、39番通りの赤信号を走り抜けようとペパーがエンジンをふかしたとき、トラ
ンスミッションがすっぽり路上に落っこちてしまった。ペパーとディージョと僕は何ブロ
ックも車を押して歩いたが、警官には一度も出くわさなかった。それから道がわずか
に下り坂になり、いったん勢いがつくとシェヴィは惰性で転がっていった。ペパーがな
かに乗り込んでハンドルを握った。キーは入ったままだったので、ラジオはまだ鳴っ
ていた。
「俺たちがどこに向かっているか、誰かわかるか?」とディージョが訊いた。
「どん底に向かってさ」ペパーが言った。

 店内の壁時計が9時を示すころになると、素晴らしきドトールの朝は終わりを告げる。
小説のなかの物語は停止を余儀なくされ、代わりに僕のおなじみの日常が時を刻み
はじめる。現実へ戻ろう。そこはシカゴではなく、日本で、東京だった。煙草を灰皿で
もみ消すと、僕は席を立ってドトールをあとにする。
 肉眼で見る窓ガラスの向こうの世界は蒸し暑く、透明感を失った夏の風景だけが広
がっていた。


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August 11, 2005

ゲリラ化する時間給労働者の実情


 え~と、なに?(なにが?) とりあえずこんな書き出しで。何について書くのか
自分に訊いてみた。気がつけば8月も2桁に突入した11日、そちらの日々はどう
ですか? カンがいい人は、このブログの最近の更新内容やコメントで予想でき
ていたくさいですが、じつはこのところ映画を撮ろうと奮闘してたりします。ええ、
誰からオファーがあったわけでもなく、自主的に映画を撮ろうという、そんな前向
きな自主制作映画だったりします。

 で、やたら暑いなかをロケハンなどをしてるしだい。はじめて知ったんだけど、巷
の撮影許可って、どこもかしこも金がかかるんですよ。たかが公園とか、建物の
敷地内とか。まったく腹立たしいね。ロケ地が決まらないと撮影に入れないし。都
内の某有名建築物は、問い合わせをしたところ撮影に21万とか言われる始末。
マジで爆破するぞって話だよ、それ。場合によっては俺はやるね。我々はゲリラ
的戦術を展開する。四方から敷地内に突入して強引に撮影を決行。アリゾナから
ホーク1へ、被写体をフレームに収めしだい速やかに撤収せよ。ホーク1からアリ
ゾナへ、警備員発見、警備員発見。
「射殺しろ」
「マジですか?」
「マジです」
「虫も殺したことないのに」
「えっ、昆虫大好き?」
「大好きです」
「告白は後にしろ。まずは目の前の敵を叩きたまえ」
「妻に愛してるって伝えてくれますか?」
「ああ、不倫してる昆虫にもな」
 ホーク1は退路を切り開こうと警備隊に突撃。余裕で名誉の戦死を遂げる。内ポ
ケットの中には愛すべき昆虫の写真。そいつはお気の毒。そのあいだに我々ゲリ
ラ部隊は撤収に成功する。ホーク1、僕らは君の昆虫好きを忘れないよ。悲しむゲ
リラ部隊の後方で、各所に仕掛けたプラスティック爆弾が爆発、某有名建築物が
派手に炎上する。ハハッ、ざまあみろ(いや、ホーク1死んじゃったけど)。

 ‥‥確実に話が逸れてるね。まあいいや。とにかく撮影許可を取るのが大変だ
って言いたかったんですよ。そんなわけで先日、都庁の中にある「東京ロケーショ
ン・ボックス」に撮影の相談に行ってきました。ここは都内のロケ地を紹介してくれ
たり、交渉がスムーズにできるように仲介役をしてくれるらしい。中に入ってみると、
一見ものすごく愛想の悪そうな人が座ってた。負けずに話しかけてみる。少し話し
ただけで、「この人、映画が好きなんだなあ」ってすぐにわかった。そして、「自主の
人が相談に来るのは久しぶり」と言われる。以前は自主の人もよく来たが、最近は
プロの方々しかこないらしい。というのも、東京はプロが撮影に金を払うので、昔は
無料で撮影させていた場所も、金になることがわかったので無料にはしなくなった
そうだ。なるほどね。

 彼曰く、「東京は自主には厳しい環境」だとのこと。無料で撮影できるところはほ
とんどないらしい。知り合いのコネとか、個人経営の店に直接交渉するか、がんば
って自分の足で探すしかないもよう。「自主は撮れるところでしか撮らないので、ど
の映画も同じような画になるのが嫌なんですよね」と僕が言ってみたところ、「それ
はすごいわかる」と彼。で、結局は相談というより映画談義みたいになってた。「ロ
スト・イン・トランスレーション」でソフィア・コッポラが相談に来たときの話などを聞く。
彼女は前日の夕方にやってきて、「明日の朝、どこどこを撮影したい」と言い出し、
「それは無理」と答えたところ、勝手にゲリラ的に撮影をして帰国していったらしい。
「それでも、アカデミーとかゴールデングローブとか獲られちゃったら、誰も文句言え
ないでしょ。むしろ感謝するくらいで」と彼は笑って言った。

 とりあえず、無料かどうかはわからないけど、イメージ的に使えるかもしれない場
所を教えてもらう。その辺りで明らかにプロだと思われる方々が相談にやってきて
彼を指名、僕は彼の隣にいた人ともうしばらく話をした。帰り際、彼はプロ的な人々
と話し合っている最中にも関わらず、僕の方を見て「がんばってくださいね」と言っ
てくれた。いいヤツだな、あんた。気に入ったよ。いつかもう少しメジャーになって相
談に来るからよろしくな(いや、マジでね)。

 そんなわけで、我々クラスの映画撮影は生活のための時間給労働との兼ね合い
もあり、まだまだ忙しい日々です。

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