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3 posts from November 2005

November 23, 2005

羊飼いは草笛を吹く


 初冬の朝は空気が凛としている感じがしていいと思う。僕が羊飼いであったなら、
きっとこんな朝に羊たちを高原へ連れ出すはずだ。見渡すかぎりの山々に陽が射し
て、景色は秋の足跡が通り過ぎた色に変わっている。草木は音もない風に揺れ、ど
こか遠くからは錆びれた風車の回る音。僕はたぶん、隣の羊飼いのオッサンから貰
ったと思われるコートを着ている。ひどくボロい。でも、この村では服装を気にする人
なんて誰もいない。白い羊の群れの後方に立って、木の枝なんかを片手に羊たちを
追い立てるわけだ。「おい、君。さっさと歩きたまえ」と。
 山道は側面が急な崖になっていて、羊たちを移動させるのに苦労する。彼らはそ
れぞれに鳴き声をあげたり、首から下げた鈴の音を鳴らしたりしながら、僕に対して
不平を表明する。途中で積荷を乗せた馬車がやってくるが、歩みの遅い羊たちに道
を阻まれて通り過ぎることができなくなってしまう。それでも馬車のオッサンは怒らな
い。くたびれた帽子をほんのちょっとだけ外して僕に挨拶する。

「おはよう。いい朝だね」
「すみません、すぐどけますから」
「いいよ、急がなくて。今日は仕事じゃないんだ」
「隣の村までですか?」
「そう、冬支度。山道が雪に覆われる前にね」
「今年もまた冬がやってきますね」
「老いぼれには厳しい季節だ」
「見習いにも厳しい季節です」
「いまどきアンタくらいだよ、羊飼い見習いなんてやってるのは」

 丘の上の十字路で馬車と別れる。ガタゴトと音を立てて遠ざかる馬車をしばらく眺
め、僕は再び羊たちと高原を目指す。急な斜面をゆっくりと上がっていくと、眼下には
自分の暮らす村が見えてくる。森林を抜ける小川、数えられる程度の山小屋、その
煙突からは人々の営みを表す煙が立ち登っている。文明から取り残されたような小
さな村だ。そこには上昇志向も家柄もない。自己探求という言葉さえない。誰かと自
分を比べることも、競い合うこともない。自分を取り囲む自然と同じように、彼らはただ
生まれ落ち、そこに根付いている。
 斜面を空に向かって歩きつづけると、やがて高原にたどり着く。目の前に広がる、
まだ緑が多く残った平原。ここでは標高が季節の訪れを遅くしている。鮮やかな緑と
抜ける青い空の下にいる羊の群れは、白い雲がこの地に降り立ったようにさえ見え
る。羊たちが思いおもいに草を食みはじめると、僕は緩やかな傾斜に寝転んで本を
読む。村には新しい本が入ってこないので、あるのは古い本ばかりだ。だから同じ本
を繰り返し読まされるはめになる。ジョイスやプルーストなんかを。
 読書に飽きると、少し眠ろうと目を閉じる。草木の匂いを嗅ぎながら、眠りに落ちよ
うとする意識の中で、遠く離れた土地の人々のことをふいに思い出す。すっかり疎遠
になってしまった人々のことを。彼らはどうしているだろう。僕はそんな人々のことを
懐かしく思う。手紙さえ満足に届かないこの村では、過ぎ去った人々と言葉を交わす
術がない。風に揺れる草を手に取って、唇に当てる。子供が生まれると、村人たちは
草笛を用いて祝福した。幼い子供の未来に希望を託して。ときに険しい人生を乗り越
えられることを願って。それは、僕がこの村に来てはじめて習った風習だった。

 祝日の渋谷は人で溢れていた。ビルが建ち並び、大型ビジョンが情報を発信しつづ
ける街。様々な音が交錯するこの街では秩序というものが感じられないように思えた。
それが都会なのかもしれない。着飾った人々は、初冬の最中をそれぞれの目的地へ
向かって歩いていた。楽しそうな人がいて、疲れた顔をしている人がいた。空は晴れ
ていたが、風はなかった。僕は仕事の打ち合わせのために、待ち合わせ場所でひと
りで待っていた。羊飼いのことを考えながら。
 そこでは、どれだけ耳を澄ましても草笛の音は聴こえなかった。


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November 11, 2005

かくも長き不在


 ものを書く人はご存知かと思うが、とにかく文章を書きたい夜というものがあって、
おそらく今夜がそれだった。そんな衝動を満たすべく、とくにネタもないのに書きは
じめてみる。こんなときは脚本を書けばいいんだろうけど、そうそういつも書きたい
物語が浮かんでくるわけでもない。映画の撮影はとりあえず終了して編集待ち。
映画広告的な仕事も昨日で一段落つき、あとにはとくにやることもない時間だけが
残ったというわけだ。

 そんなわけで、年の瀬も後ろ髪くらいは見えつつある11月の木曜日、この夜、僕
はわかりやすく言えば暇なようだった。暇ってのはそれはそれで良いものだ。とくに
悩みもなかったし、これといった気がかりもない。いや、プロントの彼女の姿が最近
あまり見えないのは気がかりだったが。間もなく辞めるのかもしれない。そうしたら
僕は、彼女を求めて旅に出るべきなのかもしれない。うん、そうしよう。まずはマカ
オあたりから。明らかに間違った方向に旅に出ている気がするが、旅人のバイブル
である「深夜特急」もマカオからはじまってたし。

「すみません、マカオの人ですか?」
「そうだな、俺はたぶんマカオの人だな」
「佇まいが素敵な女の人を探しているんですが」
「マカオ人?」
「いや、日本人っす」
「あれなんかどうだ?」
「見たところ、ヒト化の生物ではなさそうですけど」
「ああ、あれは犬だな。場合によってはコリーだな。犬じゃダメなのか?」
「ダメくさいです」

 マカオに彼女はいないような気がしてきた。時間の無駄だ。僕はさらに彼女の面
影を追い求めて旅を続ける。アイルランドはダブリンへ。イメージとしては煉瓦の街。
おそらくどいつもこいつも酒を飲んでる。そんなダブリン市民。とりあえずはパブで
聞き込みを開始してみる。

「女の人を探してるんですが」
「どんな女だ?」
「空気感がとてもいいと思います」
「俺の?」
「いや、あなたではなく」
「ハッハッハッハッ」
「えっ、笑うところ?」
「犬のマネだよ」
「わかりにくいですね、それ」
「俺はいつだってアイリッシュだからな」

 アイルランド人は素面ではいられないらしい。これまた時間の無駄。ようやく海外
に彼女はいないと気付いた僕は、日本へ帰国することにする。うん、かなりの確率
で彼女はこの国にいるね。まずは雑誌売りのオッサンに聞いてみようと思う。

「なあ、オッサン。女の人を探してるんだ」
「人にものを聞くときは敬語を使え」
「はやくも敬語の台詞に飽きたんだよ」
「どんな女だ?」
「イヤリングをしてる」
「そんな女、この街にはごまんといる」
「いつもじゃっかん難しそうな顔をしていて、微笑むと確実にやられる人」
「誰が?」
「俺がやられるね」
「おまえは画家とか作家とか写真家とかそういうのか?」
「えっ、なんで?」
「その手ヤツはたいていイメージから入るからな。目から入る」
「そうなんだ」
「俺の知るかぎり、ものを創るヤツはその傾向が強いな」
「確かにそうかも」
「イメージから入ると難しいぞ。知り合う前に無駄に意識しちまうからな」
「じゃあ、どうすりゃいいの?」
「本質を見ろ」
「どうやって?」
「話すんだよ。ただ、話す」

 なるほど。雑誌売りのオッサン、いいこと言った。話せばいいのか。そいつは簡単
だ。カウンター越しに? え~と、オッサン。言い忘れてたけど、彼女は店員で、俺
ってただの客なんだよね。ついでに言えば、彼女が辞めるのかどうかも不明。三日
くらい前、普通に働いてたし。
 まずい。ネタのなさのあまり、こんなものを書いている自分と遭遇。とりあえず見逃
す方向で。そして、久々に「この人、いいなあ」と思った異性がどこかの店の店員だ
ったりしたそこのあなたに一言。

 お気の毒。

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November 02, 2005

23区の片隅にて  


  これは僕が今までに見た 最も悲しい夕暮れと言ってよかった
  生命の奇跡に立ち帰り 思いは駆け巡っている
  これはそれからもずっとそうだろう
  でも僕の手は疲れ 心は痛んでいる
  世界を半分離れたところで 僕は頭の中で誓おう

 休日、R.E.M.を聴きながら。部屋でぼけっとコピー思案をする。「世界を半分離れ
たところで」というフレーズはいいなと思う。ものを考えるときって、まさにそういう気
分だ。頭の中で試写で見た映画を思い浮かべながら、それにふさわしい言葉を探
す。その瞬間、僕はそこにいながら、そこにいない。不在だ。
 歌詞を書く人は、言葉を選ぶのが巧い。もちろんすべての人ではないけど。世の
中にはたった一言でも響く言葉や、誰かの興味を引ける言葉がある。おそらく言葉
の組み合わせにもよるんだろうけど、これを見つけるのはなかなか難しい。自分で
いいと思っても、ほかの人にも響く言葉であるかどうかはわからない。僕はここに
座って、ときには横になって、ずっとそうした言葉を探すわけだ。言葉をめぐる思考
的な旅。結局のところ僕はそういう作業が好きで、言いようによってはそういうこと
しかできない。

  日曜日の朝早く 彼女の世界は崩れた
  彼女は台所のテーブルから立ち上がり
  新聞をたたんで ラジオを消した
  あの生き物たちはバリケードを跳び越えて
  海へ海へと向かっていた

 仕事の行き帰りにも、音楽を聴きながら考えごとをする。これはもう長年の習性で
やめることができない。そして、僕は中野富士見町行きの電車が嫌いだ。これに乗
ってしまうと、そのままでは家に帰れない。それでも僕はよく乗ってしまう。思考が
世界を半分離れたところにあると、どこ行きの電車であるかなど確認していないか
ら。気がつくと僕は中野新橋のホームを目にしている。そして気付くわけだ。「あっ、
この電車は違う」と。適度な憤りを覚えながらホームへ降りて、中野坂上まで逆方
向へ電車に揺られ、また荻窪行きがやってくるを待つ。電光掲示板が次の電車の
到着時刻を告げる。

  それは長い、長い、長い道のりで
  どっちへ行けばいいのかわからなくて
  君が世界を差し出してくれたら 僕が本当に留まるとでも思った?
  君が世界を差し出してくれても 今度は行かなくちゃいけないんだ

 何かの書類に自分の年齢を書き込む必要があるとき、自分の年齢がわからなく
なるときがある。正確には言えば、自分が31なのか32なのか、あるいは33だった
のかわからなくなる。答えは2だ。自分の姓を紙に書いてじっと眺めていると、その
響きが自分の呼び名ではないと感じられることがあるように、そんなときは大抵、
32という数字が自分にしっくりと馴染まない。どこかの年月や月日だけがすっかり
抜け落ちているような気分になる。最後に必ずこんなふうに思う。ずいぶん大人に
なったものだと。
 それから、街を歩きながら自分がこれまで辿ってきた記憶を探る。いつのまにか
抜け落ちてしまっていたかもしれない景色を見つけようとする。自分以外の人々が
どれくらいの記憶を抱えて生きているのか僕は知らない。僕の32年の記憶の量が
同世代の人より多いのか少ないのかもわからない。ときには、僕が歩んでこなか
った方の道のりを想像しようと努力する。日々と日々の間にある、繋がれることの
なかった別の世界を。が、僕はそれをうまく思い浮かべることができない。だから
たぶん、僕はいまここにいる。

  ねえアンディ 知ってるかい
  ねえ 君は今も池にはまり込んでいるのかい
  アンディ 今もエルヴィスにのぼせてるのかい
  僕らの接触は断たれちゃったのかい

  君が信じるかどうかわからないけど
  彼らは人間を月に送り込んだんだよ
  月の上に人を
  そこにはなんにもないんだ
  たいしたものなんてなんにもないんだ


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