« イガラシ式現代病 | Main | ひとり会議議事録 »

January 26, 2007

ずっとそれを見て育った

 

 兄はPCの前で少し難しそうな顔をして、それから次の一打をクリックした。休日の兄はいつも、天気が悪くなければサッカーに出かけていく。その日は雨で、僕ら兄弟は二人とも家にいた。カーテンの向こうでは微かな雨音がつづき、室内は篭った明るさに満たされつつあった。最近、兄は麻雀に夢中だ。空いている時間にはいつもオンラインの麻雀をしている。よくもまあ飽きずにやるよねと僕は言った。
「そういう時期なんだよ」と兄は答えた。
「麻雀が?」
「若い頃に好きだったものを、またやりはじめる時期」
「それ、ちょっとわかるな」
「だろ?」
「俺のビリヤードみたいなもんでしょ?」
「そう。しかも、今やったほうが昔よりおもしろい」

 僕ら兄弟はいまだに実家で暮らしている。僕が33歳だということは、もう33年も一緒に過ごしているわけだ。そのわりには、僕は兄のことをあまり知らない。おそらく僕らは仲のいい兄弟に分類されるだろうし、暇があればよく話もする。でも、僕は兄の本質的な部分について何も知らないことに気づいた。こういうのって、ちょっと不思議だ。兄のこれまでの人生においての頂点、それから底辺。いつも何を考えていて、何に悩んできたのか。そもそも僕は兄が落ち込んでいるところを見たことがない。

 僕ら兄弟は同じ屋根の下で、同じものを食べて、同じ時代を通って育ってきた。生き物の生産過程でいえば、ほとんど同じような生き物になるはずだ。でも、人間の場合はちがうらしい。兄はけっこう人付き合いのいいほうで、面倒くさいと文句を言いながらも人に誘われれば出かけていく。そんな兄ではあるけど、人間関係をけっこうドライに捉えているのではないかと僕は思っている。それに対して僕は人付き合いがいいほうではないし、周りからドライだと思われがちだが、根本的には正反対のタイプなのではないかと思っていたりする。自分でそういうふうに修正してきただけで。
「本当の麻雀じゃないとさ、振り込んでもいい気になるからなんでも切っちゃうんだよな」
「それだと上達しないじゃん」
「言えたな。真面目にやるわ」
「いや、俺はべつにどっちでもいいけどね」

 僕は兄のことを「兄」と呼ぶ。目の前に座っているこの人物に僕は少なからず影響を受けてきたのだと思う。言ってみれば、これは弟であることの宿命だ。幼い頃はなにかにつけては兄と一緒に遊びにいったものだし――たいてい兄の友人に泣かされた――70~80年代の文化のほとんどを僕は兄から吸収した。

 草野球があり、空き地ではビー玉大会が催され、道路ではローラースケートの音が響き、部屋には不恰好なラジカセがあった。小学生の頃から洋楽を聴いていたのも兄の影響だ。a-ha、カルチャークラブ、デュラン・デュランにビリー・ジョエル。シカゴ、バングルス。僕はいまだにときどき、ビリー・ジョエルやバングルスを聴く。過ぎ去った時代の過ぎ去った音楽。兄はまるで僕を導くように新しいものを取り入れてはそれに飽き、僕は僕で兄が飽きたものに執着をつづけていった。

 兄は作文が巧かった。いつだったか兄は脚本家になるというようなことを言った。兄の宣言は我が家ではちょっとしたニュースだった。母はいまでもそのコメントを覚えている。おそらく子供たちがはじめて将来の目標を口にした瞬間だったのだろう。兄の宣言は実行されない宣言として、そのまま何年も家に残りつづけた。それは果たされることのない家族旅行のようなものだった。誰もが計画を知っていて、いつかはそこへ行くんだろうなと思っているような。

 計画は計画のまま時間だけが過ぎていった。兄の旅立ちの準備はいっこうにはじまらないように思えた。それは兄なりの長いモラトリアムだったのかもしれない。やがていつしか、弟が兄と同じ宣言をした。それ以来、我が家でのそのポストは僕のものになり、兄は脚本やものを書くということについては何も言わなくなった。

 20歳くらいを過ぎた頃から、身のまわりの人間関係において、僕は「弟」でいることができなくなった。なぜかまわりから「落ち着いてる」とか「大人っぽい」と言われるようになる。その頃から僕は、友人・知人の関係においての「弟」という役割を捨てた。どちらかといえば「兄」のような立場でいるほうが関係性をスムーズに築けることに気づいたから。

 それが僕の本質であるのか、後天的に身につけていったものであるのかはよくわからない。おそらく、僕がいまだに弟でいられるのは家のなかだけだ。僕にとって、実家の心地よさというものは、いまだに弟でいられることと関係があるのかもしれない。もしかしたら僕は、いい年をしてまだ完全には兄離れができていないのかもしれない。

 僕ら兄弟はときどきメールを交わす。それはたいてい、「帰りにコーラ買ってこい」とか「ついでにラークを買ってきて」とかその程度のものだ。メールの返信がなかったり、兄が買い物に行ったきり帰ってこなかったりしたときのことだ。僕はごく稀にではあるが、事故にでもあったのではないかと心配する。兄が死んでこの世からいなくなったところを想像してたまらない気持ちになることがある。それから僕はこう思う。馬鹿馬鹿しい、と。

 普通の家族であれば、僕ら兄弟はとっくに離れて暮らしているはずだ。だから僕らも、いずれは別の場所で生きていくことになるのだろう。いつかは兄も家庭を持つのだろうし、僕も誰かに出会うのだと思う。離れて暮らすようになった兄弟が変化していくさまを僕はまだ知らない。すっかり疎遠になるのかもしれないし、いまと変わらない兄弟でありつづけるのかもしれない。あるいは、そのときになってはじめて、いまより兄のことがわかるようになるのかもしれない。
「この麻雀、絶対にトップとれねえよ」
「さて、俺もそろそろはじめるかな」
「なにを?」
「信長の野望オンライン」
「おまえはほんと、昔っからゲーマーだよな」
「兄、人のこと言えねえし」

 

|

« イガラシ式現代病 | Main | ひとり会議議事録 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference ずっとそれを見て育った:

« イガラシ式現代病 | Main | ひとり会議議事録 »