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April 03, 2007

帰ってきた10割バッター

 

 この春、僕は10割バッターになった。比喩的に。簡単に言えば、チャンスを見送るのをやめたということだ。いいボールが見えているのになぜ打たない? そう、僕は長らく見送り専門のバッターだった。打席には立つ。でも打たない。いいボールだ、それでも見送ろう。6割。うん、やっぱり見送っても平気じゃん。5割。くり返し。そんなふうにして自ら感情を抑えて打率を下げるのを得意技としていた。そういう意味では選球眼だけはやたら鍛えられた。これはいいボール。これは悪いボール。これはストライクと思わせておいてボール球。これはクセ球だけどじつは素直なボール。その他いろいろ。

 僕のバッティングポリシーは、「我慢ができるなら振るな」だ。本当にいい球であるのなら、無意識的に振りにいくはずだと。そして、僕は自分がフルスイングにいくとどうなるかをよく知っていた。まず、今までのように自分をコントロールできなくなる。普段が淡白キャラであるだけに、そいつが非常に腹立たしい。だから見送る。そんな自分を見たくないから見送る。そうすれば、僕はまた平穏でいられるというわけだ。

 そういう性質だけに、むしろ低い打率で手を打ったほうがいいのではないかと考えたこともある。でも、6・7割の打率で振りにいったところで、その後の打率が安定するのかどうかも疑問だった。もちろん上がるかもしれない。でも、一気に下がるのかもしれない。さっさと試合終了になる可能性があるなら、振りにいかないほうがいい。それはおそらく時間の浪費だし、どちらかが、あるいは両方が負傷するだけだから。我慢ができるのなら振らない。これはおそらく僕が歴史的失恋から学んだ人生哲学であり、自分の身を守る術であったのだと思う。

 いつからだったのか正確にはわからないけど、僕はまた打席に立っていた。困ったことに、今回のボールはとてもいい球だった。スイングした後のボールの軌道がイメージできるくらいに。もし僕に巧く打つことができたのなら、こんなふうに飛んでいくんだろうなと。それは高く長く飛びそうに思えた。打席に立って、そこまでイメージできることなんてなかなかない。だから僕は迷った。迷っていながら、打席に立っていることが心地良いことに気づいた。この時間を失いたくないのであれば、あとは振りにいくしかない。だから僕は自分と正面から向き合った。そこから都合のいい嘘を排除した。はっきり言って、僕はたいしたバッターじゃない。ほかの人から見れば退屈な試合なのかもしれない。きっとそうなんだろう。

 それでもこれは、ほかの誰でもなく僕らの試合だった。もはやこのまま見送りを続けることはできないように思えた。失う前から気づいているのに、失ってからそれをやっと認めるなんてうんざりだった。僕はすでに無意識的に振りにいきはじめていて、ひどく中途半端なフォームになりつつさえあった。このままいくとバランスを崩してしまいそうな気がした。どうせ自分をコントロールできなくなるのであれば完全に打ちにいったほうがいい。たとえ、巧く打てなかったとしても。

 その日、打席に立った僕は、自分のなかに眠っていた情熱を呼び起こしてフルスイングをした。素直に。ストレートに。観客は誰もいなかった。僕ら二人だけだった。打撃は柔らかな和音を響かせて返ってきた。それは僕の求めていた音だったと思う。その瞬間、たぶん僕は前より幸せになった。

 10割バッターがフルスイングをして、僕らのボールは飛びはじめた。着地点がどこになるのかわからないけど、高く長く飛んでくれればいいなと思っている。

 

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