January 29, 2005

新たなムーブメント


 画家は白いキャンバスを前にして何を思うのだろう。

 いま、僕はこうして白い紙――正確にはディスプレイの白い画面――を前にして
いる。とくに語るべきネタは何もない。白い紙を前にして、どこからか言葉が、ある
いはイメージが沸いてくるのを待っている。きっと画家はそんなふうにして絵を描く
のではないかと。窓際の隅にイーゼルを立て、白いキャンバスの前で難しい顔を
している画家が頭に浮かぶ。僕の中のイメージでは、そこは異国であり、画家は
襟首がぼろぼろのTシャツを着ている外国人だ。いわゆる画家というイメージから
考えるとひどく若い。そんな男を想像しながら、冒頭の一文を打ち込んだ。ブログ
の書き出しとしてはこんなものだろうと思いながら。

 ここで、僕はまた壁にぶつかる。ここからどう言葉を繋ぐべきなのか。制約のな
い文章の中ではどのように言葉を繋ごうと自由だ。自由だからこそ難しい。もっと
厳密に言うなら、語るべきネタが何もないから難しい。方向性。僕はどこに向かう
べきなのか? とりあえず窓の方を眺めてみたりするが何も浮かばない。僕には
人と会っているときも窓の外を眺める癖がある。退屈していると思われると危険
なので、この癖は前から治したいと思っているのにいまだに治らない。持病なの
かもしれない。あるいはバカは高いところが好きなのと同じように、常にどこか遠
くへ行ってみたいと思っているのかもしれない。そこになにがあるわけでもないの
に。

 強引にネタを探して意識の中へ。BGMは「YEAH YEAH YEAHS」。どこかウェン
ディ・ジェイムスを思わせるヴォーカル。その存在。彼女はどこへいったんだろう?
 ミュージックシーンの中で埋没していったスターたち。一度は輝きを得た人たち
のその後の人生とはどんなものなのか。そこにあるのは達成感? それとも敗北
感? 慰めにさえならないと思うけど僕から一言。君たちはひとつの時代を築いた
よ。それがたとえ短命であったとしても。素敵なことだ。シーンの先駆者。そんなの
なかなかなれるものじゃない。アルバムとして形に残されたものは、いつか君たち
の知らない若者たちの耳に届くだろう。彼らはその音から何かを得て、新しい音楽
を創造し、次の熱狂的なムーブメントを生み出すのかもしれない。

 人があるかぎり、音楽は続く。

 そんな若者たちがそこにもいた。渋谷サイクロン。観客は指で数えられる程度。
煙草のけむり。ごみ箱には潰れた紙コップの数々。ここから新たなムーブメントが
発生する気配はまるでない。それでもステージ上の彼らは懸命に演奏していた。
ギタリストは明らかにカート・コバーンに憧れていたし、次に出てきたバンドは疑い
ようもなくレディオヘッドの影響を受けていた。それでも、やっている音楽がどうか
は別として、僕はそんな彼らをかっこいいと思った。

 友人がステージ上に出てきたときは、フロアには僕を含めて7人しかいなかった。
彼は俯いたままドラムを叩き続けていた。スピーカーが発するドラムの音が、から
っぽのフロアを通して僕らの体を突き抜けた。職場では見ることができない彼がそ
こにいた。友達の芝居を見るときと同様に、僕はステージ上の彼を直視することが
できなかった。いつもそう。知り合いがステージに立っていると、僕はたいていほか
の人を見ている。

 翌日の職場には、音楽とはまるで無縁そうな顔で働く彼がいた。僕らはその日、
とくに前日のライブに触れることなく、ごくありきたりな会話を交わして一日を過ご
した。ネタがない状態ではじまった今回の更新はこのようなかたちで終わる。

 ほんとさ、みんないろいろうまくいくといいよね。


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January 17, 2005

FENDERの白いベース


 100s(Hyaku-Shiki)を聴きながら。

 冷静に考えると、僕は何ひとつ楽器を弾けない。吹こうと思えば縦笛やハーモニ
カは吹けるだろうけど、どう考えても演奏レベルには達しないはずだ。それはおそ
らく間の抜けたフーとかホーとかいう音であり、あるいはド、ドレミーなどというベタ
な低音階の繰り返しだと思われる。そんな僕でもよければ呼んでくれ、今宵ジャズ
メンたちが集うステージに。顔だって黒く塗るさ。足踏みでリズムを取るよ。遥かな
るミシシッピー、あの日々を忘れない(そいつはすげえ記憶障害)。

 その昔、FENDERの白いベースを友人から買った。14歳くらいの頃。幸いなこと
に僕は若くして、“向き不向き”という言葉の意味を心得ていた。僕のささやかな音
楽的栄光は三日で終わった。正確に言えば、「LONGER THAN FOREVER」の前奏
で終わった。「パーティの後の静けさに二人~」のフレーズにさえたどり着けなかっ
た。ロマンス以前だって話。お気の毒。

 その四日後、FENDERの白いベースは名前さえ思い出せない友人に売られてい
くはめになる。死ね(えっ?)。なんて名前だっけな、あいつ。まあいいや、思い出
せないから死んだことしよう。で、僕は思う、楽器を弾ける人って羨ましいなと。そ
の感覚がわからないので、文章を書くのとほんの少しだけ似ているのかと思って
みたりする。言葉の響き、文章で構築するリズム、その人が持つタッチ。ときどき
悪くないフレーズに出会ったり。そういう感じ。
 
 あのベースはまだこの世に存在しているだろうか、と考えてみる。めぐりめぐって、
今頃はどこかの古びた中古楽器店で放置されてるのかもしれない。たぶん、その
中古楽器店は、さえない商店街の布団屋と豆腐屋に挟まれたところにある。やけ
に縦長なそのスペース。店員は生意気そうな顔をした女の子だ。ショートカットの
髪を立て、足元は意地でもラバーソウル。気分しだいで鼻にピアス。彼女はジャニ
スが大好きだ。今日も苦情がくる一歩手前くらいのボリュームで「Pearl」を店内に
響かせている。豆腐屋のオッサンは彼女を苦手としている。目が合うと睨まれるか
ら。豆腐屋のおばさんは呟く、「まったく最近の若い子は」。人生の半分以上を自分
の中で過ごしてきた彼女にとって、おばさんの呟きは無意味に等しい。そもそも彼
女にはほとんど友達がいない。そんな彼女は密かに夢見ている。ジャニスのように
音楽で自分を表現できたらどんなに素敵だろうと。
 こう見えても彼女はそこそこ綺麗好きだ。リズムに合わせて、はたきで店内に飾
られた楽器の埃を払う。白いベース。こんなベースあったかな、と彼女は思う。なん
となく彼女はそのベースを手に取る。指が弦を弾く。その瞬間、店内の音楽が何か
に吸い込まれるように消えていき、シンプルなベース音だけが心に響く。今までの
人生において、学校の音楽の授業以外で、はじめて彼女が奏でた音がそこにある。
もう一度弾いてみる。もう一度。彼女は小さく微笑み、リズムにさえならない音を
紡ぎつづける。

 やけにFENDERの白いベースの行方が気になった、月曜日の昼下がり。

 BGMをBadly Drawn Boyに変更して。そんなわけで音楽っていいなあと思う。僕の
日々が音楽によって救われているように、多くの人のうんざりする日常も音楽によっ
て保たれているのだろう。僕らに素敵な音楽を届けてくれる、アーティストのみなさ
んに感謝を。ついでに、まだ見ぬ埋もれた音楽的才能にエールを。

 うん、結局のところ、バンドマンであるカメダさんの「kamehome 3」とリンクしたって
ことが言いたかったのです。ただそれだけ。それにしちゃ、前置き長いなってツッコミ
は却下します。


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