December 11, 2005

あとになってみなければ、わからないこと


 駅へ向かう地下道には、はやくも年末の気配が漂っているように思えた。街はイル
ミネーションによって飾られ、華やかなクリスマスを演出しつつある。緑と赤。恋人た
ち。12月だ。クリスマスというのは不思議なもので、相手のいないときのほうがその
特別な気分を実感させられる。自分に相手がいるときには、いつもの関係の延長で
しかない日だったりもするんだけど。この12月に恋人たちはプレゼントを交換したり、
愛を囁いたり、どこかの宿泊施設で、あるいは誰かの部屋で一緒に朝を迎えたりす
るんだろう。素敵だ。何年か前には僕にもそんなことがあったような気がするが、い
まいち詳細を思い出せない。その程度の記憶ということなのか。世の中には残るも
のと残らないものがある。そういうことだ。

 不在の季節。おそらく今の僕には、地上に生きるべき生命体として何かが欠けて
いる。それは肌触りなのかもしれないし、情熱なのかもしれない。この季節になると、
「俺はクリスチャンじゃないし」とか「企業が商品を売るための戦略だ」などと言い出
す方々がいるが、個人的には相手がいるのであればイベントはイベントとして楽しん
でしまえばいいのだと思っている。それでささやかな幸せが得られるのなら。いつも
よりちょっとだけ悪くない日が過ごせるのであれば。音楽が流れているのなら、身を
任せろということだ。冷静になって音楽を止める必要なんてないわけだし。

 高速道路から君に電話かける
 じゃあまたね またすぐかけるよ
 白い月に 今夜の夢重ねて
 そして車は走る 真っ暗な中

 真夜中のころ、ふたりの恋
 真夜中のころ、ふたりの恋
 
 ちなみに僕が今まで貰ったプレゼントでいちばん嬉しかったのはブックカバーだった
りする。クリスマスに貰ったのかどうかは定かではない。なにしろもう10年くらい前の
話だ。青い革のブックカバー。時とともに変色し、今ではすっかりボロくなっているが、
そのぶん本によく馴染むようになった。僕にブックカバーをくれたのは友人の彼女だっ
た。今まででいちばん嬉しかったのが、友人の彼女から貰った物というのもどうかとい
う気がするけど、僕はこのブックカバーがひどく気に入っている。彼女とはそれほど親
しいわけでもなくて、なんだか唐突に貰ったような感じだった。ちょっとしたサプライズ。
やはりプレゼントにはいくらかの驚きが必要なのかもしれない。たぶん、彼女は僕に
ブックカバーをくれたことをもう覚えていない。場合によっては、彼女と街ですれ違って
もわからないかもしれない。僕はそんな彼女から貰ったプレゼントを10年近く使ってい
るわけだ。きっと、僕はこれからも青い革のブックカバーを使い続ける。そして、このブ
ックカバーがあるかぎり、ときどき彼女を思い出すんだろう。日々の静かな時間のなか
で。たいして親しくもなかった彼女のことを。

 今日は街に雪が降った。
 もう一度言おう、12月だ。


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October 05, 2005

これまた消えゆく書きっぱなしコメント


 ココ、放置ぎみですか? 「せっかく見にきたのに更新してねえし」って思われ
ないように適当に更新してみる。え~、なんの話がいいですか? とりあえず人
のネタを拝借しよう。どうやら、僕の友達の女の子は外人に求婚されているらし
い。「君と朝までクロッカスを眺めていたい」って言われたらしいです(ウソ)。この
台詞は僕の思いつき。二人して夜通しクロッカスを眺めてどうすんだって話だか
らね、これ。じっとしてるにも、ほどってものがある。眺めていたいなら止めないけ
どさ。おそらく二人の関係に芽は出ないと思うね。

 その外人の彼は僕も知っていて、その昔、飲食店でバイトしていた頃に一緒に
働いていた。もちろん求婚された女の子も。先日、彼女が久しぶりに外人の彼に
呼び出されて会ってみたところ、「アイラー・ビゥー」――実際、彼女からのメール
にはこの発音で書いてあった――攻撃を連呼されたもよう。翌日には「アイラー
・ビゥー言い過ぎました」って謝罪ぎみのメールが入ったとか。いや、アイラー・ビ
ゥー言い過ぎましたって。これ、個人的にはかなりおもしろいな。ハハッ、笑える。
ちょっと腹痛い。ハハッ、死ね(えっ?)。

 しっかし、外人は直球だなあ。そこに迷いはないのかい? 感心するね、ある意
味。彼は日本語がやたら巧い。ちなみにイスラム教だかどっかの宗教で、婚前交
渉は認められていないらしかった。一緒に働いていた頃、確か彼は24とかそのくら
いだった。試しに彼に、「その決まり、マジで守ってるの?」と質問すると、「守って
いない人の方が多いけど、ボクは守ってます」という感じの返事がかえってきた。
あれから3~4年くらい。彼がまだその教えを守っているのか僕は知らない。
 彼女からのメールは「かなり面白いけど、どうします?」という言葉で締めくくられ
ていた。いや、どうしますと聞かれましても。おもしろいから引っ張ってほしい気もし
たが、おそらく彼は本気なので早めに殺してあげた方が良いと思われた。なので、
「受け止める気がないなら、適度に交わす方向で」という返事を送る。受け止める
気があったら、それはそれでサプライズ。無抵抗主義。ガンジー的なもの。

 あの彼が求婚とはね。これまた時は流れるって感じだね。結婚するってことは、
独身ではなくなるってことだからな。幸せだったりするのかもしれないけど、素敵な
ひとり時間は確実に減っていくんだろうし。何かを得れば、何かを失うわけだ。世の
中そういうふうにできている。なので、何かを得たいと思ったときには、そのぶんの
代償を考えなければならない。それでも、その何かを得たいのであれば、たぶんそ
の判断は正解なのだと思われる。うん、きっとね。

 前回、このブログで「プロントの女の子がじゃっかん気になります」的なオチをつけ
たばっかりに、周りの人々に適度にツッコミを入れられている始末。え~、みなさん、
放っておいてください。僕の密かな楽しみを奪わない方向で。なんていうか、彼女は
佇まいがいいね。肩から指先にかけてのラインが素敵だ。彼女はいつも少し難しい
顔をして働いている。思い出せないけど大事な何かを落としてしまったような、そん
な顔をして。ときどき、さらりとした穏やかな微笑みを見せる。僕は本を読んだり、音
楽を聴いたり、ものを書いたりしながら、ふと、そうした彼女を眺めるわけだ。じゃっ
かん文学の匂いがしてきたね。ちょっと誇張したけど。まさにナイスな休憩。

 え~と、肌寒くなってきましたね。
 みなさん、はかなく過ぎ去る秋をお楽しみください(今回は普通に終わる)。


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June 14, 2005

梅雨、恋が降る季節に


 ねえ 世界がもう目の前にあるような
 そんな夜ってないかい?
 もう 何もかもが飽きてしまってもまだ
 終わらない夢のよう

 ひとりサニーデイ・ブーム到来。一曲目はとりあえず「夜のメロディ」で。時刻は深夜
3時。実際のところ今、世界が目の前にあるような気はしてないけど。相変わらずの
夜。見慣れた部屋と、煙草のけむりと、好きな音楽と。
 巷は恋の季節のようで、フクダくんをはじめ、周りの方々はやたら僕に恋愛的な話
題を提供してくれる。そのたびに僕は、恋というものについて考えさせられるわけだ。
まあ恋愛ってのは難しいよね。必ずしも想いが強い者が勝つわけでもなく。そうだっ
たら、みんなもっと楽なんだろうな。フェアな感じもするし。

 例えばわかりやすいところで、僕の歴史的な失恋。おそらく彼女の個人史において
も、最も深く彼女に恋をしたのは僕だ。これは僕の勝手な思い込みのような気がしな
いでもないけど、「彼女を愛した男ランキング」で言えば、僕はかなりいいセンいって
いたはずだ。が、それでもいま、僕の元に彼女はいない。そう、恋愛ってのは、想い
の強い者が相手を得られるわけではないから。相手の気持ちがあってはじめて成立
する。その昔、僕がどれだけ想っていても、彼女の答えが「私は結婚して関西に行き
ます」であれば、それが正しい答えというわけだ。誤解のないように言っておくと、僕
はまだ彼女を得たいと思ってるわけじゃない。あくまでも例えとして。

 君とどこか遠くへ もっと遠いどこかへ
 ふたりだけで今日は過ごすよ
 貨物列車に乗っていこう きっともう戻れない

 二曲目もサニーデイで、「スロウライダー」。うん、そんなわけで恋愛ってのは厄介だ
よね。おそらく僕に恋愛話を聞かせてくれたヤツらは、暇さえあれば相手を想っていた
んだろう。一日のはじまりに目覚めて彼女を思い浮かべ、一日の終わり、眠りに落ち
ていく淡い意識のなかで彼女を想う。ほかのことが手に付かなくなって、すべての景
色に彼女が入り込んでくる。それをどうにも止めることができない。きっとそんな感じ
だ。これ、経験あるね。ある日、突然それが許されなくなる。いや、許されなくはない
けど、そうしていてもどこにもたどり着けないことを知る。どうする? 心に穴が開く。あ
る者はそれをほかの何かで埋めようと努力し、ある者はそれをまた彼女の記憶で埋
めようとする。

 魔法をかけたよ さっき君に
 気づかなかっただろう 瞬きの瞬間だった
 炎を囲んだ夏の終わり 真夜中の海は静けさの色

 三曲目もまだまだサニーデイで、「魔法」。魔法ね、そりゃかかればいいけどね。
相手にも感情ってものがある。同じように人に恋をするし、きっと同じように思い悩ん
でいる。だから、うまくいかなかったからといって相手が悪いわけじゃない。これはも
う巡り合わせとか好みの問題だ。出会った時期が早かったとか遅かったとか。どれ
だけがんばってもその絵を芸術対象として捉えられないとか。べつに嫌いな絵じゃな
いし、街に貼ってあるのであれば構わないけど、自分の部屋には飾れないってこと
もある。嫌いな絵ならむしろ楽。捨てちまえばいいんだから。普通に嫌いじゃない絵
の方がむしろ困る。捨てることも飾ることもできない。だから悩む。どうする? ある
者はできるだけ傷つけないようにする。ある者は傷つけてでもはっきり諦めさせよう
とする。おそらく、それはどちらも優しさだ。

 水たまり走る車に乗って 
 恋人さらってどこかへ行きたい
 雨上がりの街 鈍い光浴びて
 虹に追われてどこかへ行きたいんです

 四曲目もこれでもかってくらいサニーデイで、「さよなら! 街の恋人たち」。ひとつ
言えることは、うまくいかなかったからといって世界は終わらない。人は学ぶし、人は
回復する。そのへんはかつて歴史的失恋をした僕が保証しよう。もう誰も好きになれ
ないと思うかもしれないが、そんなことはないね。なぜなら人は人を好きになる生きも
のだし、いくつになっても男から見れば女性ってのは素敵だから。まあたぶん、どんな
かたちでどんな結果であれ、恋ってのはいいものだよ。このブログを見てくれている
結婚しているみなさんは、「そういうのあったねえ。懐かしいよね」と思っているかもし
れない。ついでにこうも思ってるかもしれない。「そうそう、恋っていいよね」と。

 僕がこうして書いてるあいだにも時間は過ぎ去り、時刻は深夜だか早朝の4時。あ
とは時が流れるのを待ちましょうということで。おかげで僕までなんだか恋愛的な気
分になったね。そんなこんなで最後の曲もサニーデイ。ブログタイトルにふさわしく、
「夢見るようなくちびるに」。


 きみの声のする方へ きみの香りのする方へ
 きみの瞳のそっと輝く方へ

 夢見るようなくちびるに色をつけてみるんだ
 だれもいない場所で


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June 04, 2005

他人事カウセリングチーム


 昨日は以前の劇団の飲み会にお邪魔した。先日、恋という名の戦場で散った役者の
彼と一緒に。彼はまあまあ元気そうだった。胸に銃弾の跡も見当たらなかった。血の流
れない痛みというわけだ。おそらく内心ではリハビリ中だったりするんだろうけど、表向
きはうまいこと普通な感じを装っていた。梅雨の装い。失恋した人にオススメする6月の
新作コレクション。

 僕と彼がお邪魔することをみなさん知らなかったらしく、僕らはすっかりサプライズゲス
トと化していた。「あれっ、なにしてんの?」とか、顔だけのびっくりリアクションとかで迎
えられる。いや、呼ばれたから来たつもりだったんだけどね。僕に誘いのメールをくれた
人に聞いてみると、「とりあえず勝手に呼んでみました」との返事。そうなんだ、じゃっか
ん気まずいんだけど。知らない人増えてるし。
 とりあえず酒を飲む。劇団の飲み会というと、演劇論やクリエイティブな談義が繰り広
げられると思われるかもしれない。確かに実際そういうときもある。が、たいていはこん
な感じでみんな好き勝手に喋る。

「最近どうなの?」
「どうでもないっすね」
「借金なくなった?」
「この焼きそば、いまいちだな」
「思ったんだけど、1000万にいかないかぎりなんとかなるよね」
「その認識まちがってる」
「赤いカードが赤いうちは気をつけろ」
「はぐれ刑事って、どのへんが純情なの?」
「はぐれてる辺りが」
「俺、借金ゼロ」
「自慢された。当たり前なのに」
「彼女できた?」
「まあ、うまくやってますよ」
「ソロっす」
「ここ、携帯電波悪くない?」
「つうか、俺ふられたし」
「店員を呼ぼう」
「電波なのに?」
「で、彼女って何?」
「言えた、彼女って何?」
「たぶん素敵なもの」
「死ね」
「あのスマップが大好きな女の子とはどうなったんですか?」
「えっ、それ何年前の話?」

 とかそういう感じ。基本的にどうでもいいことを話している人たち発見。予定では真面
目な話をして刺激を受けるつもりだったんだけど、まあこれはこれでおもしろかった。こ
の劇団には、僕より年上で「ふられ王」の称号を得ている人物がいる。その名はギンさ
ん。僕は彼の持っているテイストとか、キャラクターが大好きだ。でも、どういうわけか女
の子には通じないらしい。いつだって恋をしているギンさんに、「いま誰が好きなんです
か?」と聞いてみたところ、「たくさんいるから、自分でもわからない」という返事がかえ
ってくる。いや、ギンさん。その時点でダメだと思う。恋は盲目にもほどがある。

 仕方ないので僕と例の彼でカウセリングを開始する。まず最初の女の子。メールを送
っても6回に1回しか返事がこないらしい。6-1。びっくりするくらい打率低いな。という
より、よく6回も投げたね。ある意味では力投。今後、おそらくフルスイングしても逆転は
ないとのことで、我々カウセリングチームはその子は無理という判断を下す。聞いてい
るうちに、じゃっかん脈がありそうな女の子を見つける。我々カウセリングチームは彼女
を標的にすべきだということで意見が一致した。そして、酒が入り、ついでに言えば他
人事だと思っている我々カウセリングチームは、「彼女を誘いたまえ」とギンさんに命令
を下す。

 ギンさんはちょうど彼女を芝居に誘いたいと思っていたところらしい。が、ギンさん曰く、
メールが下手なので誘えないとのこと。いや、メールに下手とかあるの? 思ったことを
思ったように書けばいいのでは。それしかないし。そんなふうに言ってみたところ、「じゃ
あもの書きとして、duzzちゃん代わりにメールの文面考えて」とか言われる。それは道
徳的にどうなんだろうという疑問はあったが、我々カウセリングチームは酒が入り正常
な判断力をなくしつつあった。そんなわけで、気がつけば僕はギンさんの携帯を片手に
見知らぬ女の子にメールを打っていた。こんなの生まれてはじめてだったね。いや、正
直ちょっとおもしろかったけど。個人的には彼女に対しての想いが1%もないので、もの
すごく普通に誘っちゃった感じの文面を作る。なぜなら、断られても僕はまるで痛くない
ので。他人事って素敵。ギンさんはそれを自分の言葉に直して、ひとりでやたら思い詰
めたあげく、彼女の存在する場所へ向けてメールを空へ解き放った。

「ああ、もう5分経ったよ」
「いや、ギンさん。まだ5分っす」
「ほら、もう10分経った!」
「ほらって言われても」
「まだ彼女見てないかもしれないし」
「そうそう」
「きっとね」
「たぶんね‥‥」
「もう15分だよ!」
「ものすごく希望的な観測で言えば、いま彼女はメールを打ってる」
「それ以前に、ギンさん時間気にしすぎ」

 5分刻みでリアクションを見せるギンさんのもとへ、20分後、彼女からのメールが届
く。それはなかなか好意的なリアクションで、「一緒に行きたいです。ギンさんはいつ
行く予定ですか?」的なコメント付きだった。いつの間にかカウセリングチームは増員
していて、「おおっ~!」とか妙に沸き立つ一同。すかさず「第二の矢を放て」と命令す
る一同。ギンさんはまた僕に書かせようとしたが、「ここからは自分でなんとかしたま
え」と却下する。思い悩むギンさん。ようやく第二の矢を発射する。その文面を見せて
もらったところ、自分のスケジュールばかりで、彼女の都合のいい日をまったく聞いて
いない始末。びっくりしたね。普通、「じゃあ都合のいい日教えて」とか聞いて相手に
合わせるところじゃないの? 「なにやってんだよ」、「がっかりだね」、「台無しだよ!」
と憤慨するカウセリングチーム。納得のいかないカウセリングチームは「すかさず第三
の矢を放って、続きメール的な風味にして彼女の予定を聞け」と命令する。その文面を
作りはじめたところで、狙い済ましたようにギンさんの携帯の電池が切れる。‥‥マジ
で? いや、さっきから電池切れそうって言ってたけど、ここで切れるんだ。まいったね、
ギンさん。ある意味天才。

 時刻は深夜12時を過ぎ、酒が入って眠くなった僕はタクシーで帰宅する。途方に暮れ
るギンさんに、「とりあえずコンビニで電池買ってください」と言い残して。今日、ギンさん
から送られたきたメールによれば、そのあとなぜかゲイバーへ行って乱闘があったりし
たらしい。えっ、どういう展開なの? おもしろそうだけど帰ってよかった。彼女の件に関
しては、だいぶ時間が過ぎてからさらにメールを送ったとのこと。まだはっきりしないが、
それなりに名のある劇団なので先にチケットを取っておくことにしたらしい。そして、彼女
にふられた場合は、もちろん僕が責任を取ってギンさんと一緒に観にいくことになってい
るらしい。

 そいつは初耳。


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May 28, 2005

兵士の墓標


 勇敢に挑み、死んだ。

 彼の墓標にそう刻もう。そして、僕は彼の勇気を称える。ここでいう彼とは、前回
書いた役者の彼のことだ。どうにも我慢がならなかったらしい彼は、理由もわからな
いのにやたら好きな女の子に果敢に挑み、本人に言わせれば予定どおり玉砕した。
ある兵士の死に追悼を。みなさん、ついでにここで黙祷を。‥‥‥‥‥‥。牧師さん、
今は亡き彼のためにコメントをひとつお願いします。

牧師:我々は死をもってはじめて、その人がどんな人物であったか測ろうとします。
最終章だけでその人の価値を決めようとするのです。ですが、忘れてはなりません。
彼は生まれ落ち、そして去った。そのあいだには様々な出来事があったことでしょう。
その記憶を埋めるのは私ではなく、ここにいる参列者のみなさんです。ひとりひとり
が思い返してください、彼と過ごした日々を。‥‥彼は多くの人に出会い、多くの人
に愛されました。慈悲深い人物でした。人生を歩むということは困難なものです。そ
こには痛みがともなう。彼を失ったこと、それが私たちの痛みです。この痛みととも
に生きていくのです。この痛みがあるかぎり、我々が彼を忘れることはないでしょう。
賛美歌へいく前に、友人代表のduzzさんから弔辞を。
 
duzz:はじめに、彼のためにこうして集まってくれたみなさんに感謝を。どうもありがと
う。きっと、彼も喜んでいることでしょう。‥‥死の数日前、彼は僕にこう言いました。
「気持ちを伝えないかぎり、終らない恋がある」と。勇敢な男でした。死者のすべてを
肯定しようとは思いません。彼には身勝手で自分本位な部分もありました。興味の
ない女性には失礼な仕打ちをしたこともあったかもしれません。それでも、みなさん
ご存知のとおり、本質的には善良な男でした。クールなロマンチストでした。
 ステージの上にいた彼を思い出します。彼は短いその生涯を、狭いステージに捧
げました。そこが彼の居場所であり、存在意義でした。僕らは一緒に芝居を創り、
ときに叶わない夢を語り合いました。彼は、夢を見たままで死んでいきました。彼は
芝居というものを通して、いくつかの人生を演じ、最後に本物の人生で本物の恋に
出会いました。どうにもならないくらい誰かを想う。そうした感情を知らずに死んでい
く人もいるのでしょう。僕はそれを知っています。それは貴重な体験で、おそらく生涯
忘れることのできない印象を残していくものです。ある視点においては、それもまた
人生の到達点なのかもしれません。彼は最後にそれを知ることができた。そこへた
どり着き、そして31年の人生に幕を閉じました。彼は幸せであったのではないかと
僕は思います。

牧師:アーメン。

一同:アーメン。

牧師:通常であればここで賛美歌へ行くところなのですが、生前の故人からの強い
希望を尊重します。「僕が死んだら、この曲を流してほしい」と彼は言ったそうです。
教会でこのような音楽を流すのは私もはじめてです。教義としてどうなのかという心
配は若干ありますが、この歌が天国の彼のもとへ届くことを一緒に祈りましょう。
R.E.M.で「EVERYBODY HURTS」。


 さあ元気を出して
 がんばるんだ
 ひとりぼっちみたいな気がしたとしても
 いいや 君だけじゃないんだ

 この人生にひとりきり
 昼も夜もひとりぼっちで
 こんな人生たくさんだと思ってるとしたら
 がんばるんだ

 誰だって傷つくときがあるし
 誰だって泣くんだ
 誰だって傷つくときがある
 誰だって

 だから元気を出して
 がんばるんだ
 元気を出して
 持ちこたえるんだ
 誰だって傷つくんだよ

 元気を出して
 誰だって痛いんだ


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May 01, 2005

そして、あとがき


 すっかり長くなっちまいましたが、これが僕の歴史的失恋の話。まあ、いろいろな
ことを学んだ恋だったなあと思う。
 ここで、構成の関係で省いた補足事項なんかをひとつ。「戻りたい」発言から半年
近くが過ぎた頃、彼女は見知らぬ男を連れて僕の働く映画館へやってくる。ジャン・
クロード・ヴァンダム主演の「ユニバーサル・ソルジャー」。タイトルから想像できると
思うけど、ろくでもないSF映画だ。いや、実際のところ僕は見てないけど、ジャン・
クロード・ヴァンダムが主演の時点で駄作ってことにしておく。なぜに「ユニバーサ
ル・ソルジャー」だったのか? もう少しマシな映画なかったの? ちなみに、ここで
ちょっとばかり立ち直りかけていた僕が二度殺されたのは言うまでもない。まさか
「ユニバーサル・ソルジャー」を観にくるとは思ってもいなかったので。まさにユニバ
ーサル級のダメージと遭遇。ビッグバン。死ぬ。衛生兵を呼んでくれ。っていうか、
その男は誰なの? そんなヤツは木星探索にでも送り込め。いや、「ユニバーサル
・ソルジャー」って言われましても。(今ではこのネタお気に入り)

 さらに、後日談。彼女とはその後もけっこう連絡を取り続けた。最後に電話で話し
たのはたぶん二年くらい前。彼女は何年も前に結婚して、いまは大阪にいる。関西
方面の方々には失礼な話ではあるけれど、彼女はその土地柄に馴染めず、精神的
にめいっているらしい。話した感じではあまり幸せそうではなかった。が、幸せな人ほ
ど幸せではないふうに装うものなので、実際のところはどうかわからない。
 僕がいま持っている携帯に彼女の電話番号は登録されていない。携帯を買い換え
たときに入れるのをやめた。なんとなくいい機会のような気がしたので。PCも新しくな
ってメールアドレスもわからない。おそらくこの先、僕らが連絡を取ることはないだろう。
彼女がまだ僕の電話番号を知っていて、留守電にでも残さないかぎり。その場合、
僕が掛け直すのかどうかは読者のみなさんの判断にお任せして。

 そして、あれから10年以上の月日が過ぎる。再び場所をパスタ店に移そう。余談
ではあるけど、店員の女の子はちょっとかわいかった。ここにもひとつの教訓がある。
時間をかければ、人は回復する。
 で、僕の向かいにはカメダさん。ものすごくかいつまんでこの歴史的失恋の話をし
たあと、僕らはだいたいこんな感じの会話をしたと思う。

「もし、いま彼女と会ったらどうしますか?」
「場合によっては、やばいかもしれません」
「まだですか?」
「彼女が変わってなかったらやばいかも。ぐらっと揺れる恐れありです。
 なので、ブサイクになっていてほしい気もします」
「10年以上経ってるんですよね?」
「はい、経ってます」
「それってもう愛じゃないですか」
「いや、愛ではないっす(なぜか全否定)」

 そう、僕はいまでもあれが愛と呼ばれるものであったとは思わない。なんていうか、
あれこそが恋なのではないかと。僕がこの先、あんなふうに人を想うことはもうない
だろう。でも、それはべつに悪いことじゃない。恋にもいろいろな形があるんだろうし。

 そんなわけで世のすべてのみなさん、素敵な恋を。


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ある個人史の記録・3


 ママ このバッジをはずしてくれ
 もう俺には使い道がないんだから
 暗くなってしまってなにも見えない
 まるで天国の扉を叩いているような気分だよ

 天国の扉を叩いているんだ
 天国の扉を叩いている

 1991年、ボブ・ディランのカバーをGUNS N'ROSESが歌った。「KNOCKIN' ON HE
AVEN'S DOOR」、彼女が好きだった曲だ。その頃の僕はガンズにほとんど興味が
なくて、これがボブ・ディランの名曲であることさえ知らなかったと思う。彼女はとき
どきこの歌を口ずさんだ。サビの部分をアクセル・ローズがどんなふうに歌うか、そ
れがどんなふうに彼女に心に響くのかまで僕に教えてくれた。今こうして聴いてみ
ると、この歌詞は彼女を失ったあとの僕の気持ちをいくらか表していると思う。

 恋人になった僕らは幸せな日々を過ごした。その冬、彼女は髪にソバージュをか
け、黒いストールに身を包んで街を歩いた。ソバージュ。今では誰もそんな呼び方を
しないけど、彼女によく似合っていたと思う。彼女はその髪型が気に入らなかったら
しく、いつもヘアピンで髪を束ねていた。色は金色。なんだか棒みたいのを通して髪
を留めるやつだ。ときどきではあったけど、彼女はそのへアピンを外してくれた。髪を
下ろした彼女が僕はとても好きだった。僕が見つめていると、そのたびに彼女は「絶
対ヘンだってこの髪。だからあんまり見ないで」と言った。少し不機嫌そうな微笑。そ
んな彼女を眺めるだけで、僕はいつも幸せな気分に浸ることができたものだ。

 僕がどれだけ彼女を想っていても、やがてどれだけ歴史的な失恋がやってこようと
も、はたから見れば僕らは普通の恋人であったと思う。僕らは恋人たちが口にすべ
きことを囁き、ときに肌に触れ、未来のことについて語り合った。下手すると僕はこの
関係が永遠に続くと思っていた恐れがあるし、本気で彼女と結婚するものだと思って
いた可能性もある。いまは亡き僕の結婚願望。短絡的な男だ。微笑ましくさえある。
できることなら、僕は今ここで歴史を書き変えたいと思う。が、起こってしまったことは
すでに起こってしまったことだ。そう、当然のように、実際の月日より速いスピードで
幸せな日々は過ぎ去っていく。

 一月に彼女は21歳になり、僕らは二人で誕生日を祝った。五月に僕が19歳になっ
て、そして六月に彼女は去っていった。
 別れの年の春、彼女は就職した。以前に比べて、僕らが時間を共有する機会はめ
っきり減っていく。携帯電話がない時代では、実際に会うか、夜に電話することでし
か相手に言葉を届ける方法がなかった。当時の僕は、彼女が好きだったBlack Cro
wesで表現するなら、「ジェラス・アゲイン」ぐらい嫉妬するのを得意技としていた。そ
れはずいぶんと彼女をうんざりさせたはずだし、いま自分で思い出してもかっこわる
かったと思う。僕は見えない敵を恐れていた。彼女の働く会社には、僕では絶対に
勝てないような大人の男たちがいるのではないかと。僕は勝手に想像の敵を作りあ
げ、みずからを窮地に追い込んでいた。勝ち目のない勝負だった。

 実際のところ、彼女が僕の元を去っていった理由はわからない。かっこわるい僕に
嫌気が指したのかもしれないし、ほかに好きな男ができたのかもしれないし、あるい
はその両方なのかもしれない。別れて数年が経ってからも、僕は彼女と何度か会っ
たが、そのときも理由は訊かなかった。僕らは向かい合って食事をしながら現状報告
をして、ほんの少し昔話をした。今でもとくに別れた理由を知りたいとは思わない。い
まさら答え合わせをしてみても、何かが変わるわけじゃない。これはもう過ぎ去ってし
まったことなのだ。

 彼女は電話で「しばらく時間を置きたい」と言った。お決まりの台詞。若かりし僕は
「どうせなら、はっきりふってくれ」と答えた。そんな中途半端な状態ではどこにも進
めやしないと。彼女はこう言った、本当にただ時間を置きたいだけなの。
 それから僕は失意の日々を迎える。彼女が去り、僕は完全に空っぽになった。彼
女を失うことで、自分の存在理由まで失ったような感じだった。僕はひとりで街を歩い
た。僕はひとりで新しい季節を迎えた。僕はひとりで本を読んだ。いつだって空っぽだ
った。僕はその空虚感を彼女と過ごした記憶で埋めようとした。後向きで、どこにもた
どり着けない作業だった。埋めれば埋めるほど傷は大きくなり、痛みは増していった。
そこには希望というものがなかった。

 数ヵ月後、彼女から電話がかかってくる。おそらくこれが最後の機会だったのだと思
う。彼女は「やっぱり戻りたい」というようなことを口にした。いや、実際に「戻りたい」と
はっきり言った。あとは僕が彼女を迎え入れればいいだけのことだ。僕は彼女を受け
入れなかった。僕のささやかなプライドだったのか? それとも本気で彼女を想ってい
たからこそ許せなかったのか? 今となってはこの理由もよくわからない。僕は痛々し
いまでの強がりを見せる。「いや、俺はひとりで平気だね」みたいな口調で。愚かな男
だ。微笑ましさを通り越して、腹立たしくさえある。この発言は、ずっと長いあいだ僕を
後悔させることになる。確か、それからしばらくして僕は彼女に電話をした。さらにしば
らくして、さりげない手紙も書いたはずだ。彼女は戻ってこなかった。
 そのようにして、僕は彼女を取り戻す唯一の機会を失った。

 それからの僕は、自分との対話に多くの時間を費やすようになる。自己修復。おそ
らく、この辺りから現在の僕が形成されはじめたのだと思う。その対話のなかで僕は
多くのことを学んだ。僕は悲しみという言葉の意味を知り、人の心は痛むものだという
ことを知った。できるだけ人を傷つけないようにしようと思った。嘘をつかず、素直に生
きようとも思った。彼女を失った空虚感を前向きなもので埋めようと思い、僕はものを
書きはじめるようになった。気がつけばいつからか、誰かを「おまえ」と呼ぶことができ
なくなっていた。
 僕は今でも、男女・年齢を問わず、誰かを「おまえ」と呼ぶことができない。自分の
恋人でもないかぎり、女の子を下の名前で呼びつけにすることもできない。あれほど
短気だった僕ではあるが、今では本気で腹を立てることもほとんどない。ここにひとつ
の教訓がある。人は変われる。

 結局、僕がその失恋から立ち直るまでには、二年近くの月日がかかる。もう悲しく
はなかったし、その頃には女の子と普通に笑って話せるようになっていた。さすがに
二年もあれば、そのあいだに僕に好意を抱いてくれる女の子もいた。でも、僕はまっ
たくその気になれなかった。立ち直ったあとでも、ふとした瞬間に僕は彼女を思い浮
かべていたから。それを完全に振り払うまでには、さらに長い年月がかかっているの
ではないかと思う。彼女を懐かしく思い返せるようになったときには、僕はすでに大人
になりつつあった。

 僕はそれからの日々を生きた。彼女がいなくても。


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April 28, 2005

ある個人史の記録・2


 関係というものは、いつどこで変化するんだろう?

 それは形を変える。段階から段階へ。その連なりの境目は、はっきりしなかったり
するものだ。どうでもよかったヤツが突然、友人と思えるようになる。ある日からふと、
その女の子のことを思い浮かべるようになる。なにがきっかけかもわからず、気がつ
けば僕らは次の段階を迎えている。それは心が認識するものだ。ああ、今までとは
もう違うんだな、と。

 書くという作業は結局のところ、過去を遡ることだ。記憶を辿り、そこへ再び自分を
置いてみようとする。1991年の街並みと喧騒を思い返す。断片的な記憶。パンフレ
ットの数を数えていた彼女。バイトの帰り道、僕と彼女は並んで最後尾を歩いた。何
度も撮った集合写真。彼女がよく言った台詞、「また怒ってるの?」。みんなでドライ
ブへ行ったとき、はじめて彼女は帽子を被ってきた。帽子を被った彼女を見たのは、
あとにも先にもこのときだけだ。時系列は前後して、さまざまな風景が脳裏をよぎる。
おそらく僕はこの瞬間、また彼女に恋をしているし、また彼女を失っている。

 その年の夏から秋にかけて、僕らは毎日のように飲みにいった。誇張もないくらい
毎日出かけていたと思う。そんなふうに職場の仲間たちと大勢で遊びながら、僕と
彼女は距離を縮めていった。いつ頃からか、僕は彼女に受け入れられているなと感
じるようになった。僕らは顔を合わせるたびに気楽な挨拶をし、微笑みを交わして、
ときには相手への気持ちをほのめかした。「いかにも」でしかなかった僕は、いつの
間にか彼女のなかで別の存在に姿を変えていた。ありがたいことに。

 ボーリング大会があり、社員旅行があった。ボーリング大会で、僕はろくでもない
スコアを叩き出して彼女の笑いを誘った。ビリヤードの方が得意なんだと言い訳して
みても、残念ながら玉突き台は置かれていなかった。社員旅行では、ちょっとした一
幕があった。宴会で彼女はひどく酔っ払い、重役のオッサンに絡まれて泣き出した。
彼女は涙を武器にするタイプの女の子ではなかったから、そこは短気で有名な僕の
出番というわけだ。平気な顔で重役に「ふざんけんなよ、このジジイ」的な発言をして
みんなに取り押さえられる。いまは亡き僕の攻撃性。アグレッシブな男だ。微笑まし
くさえある。その後、このオッサンは僕が辞めるまで僕を嫌いつづけた。死んでること
を心から願う。
 酔っ払った彼女は個室に戻り、介抱役に僕を指名した。それはほかの誰でもなく、
光栄なことに僕だった。僕は浴衣を通して彼女の肌に触れる権利を得た。洗面台で
彼女は思いっきり嘔吐していたので、それほど色気のあるシーンではなかったけど。
それでも、そこにはある種の意思表示があった。許しと信頼。体温と背骨。このとき、
僕は「理性」と呟いたかもしれない。彼女の背中をさすりながら、好きな女の子であ
れば吐いていたってぜんぜん嫌じゃないんだな、と思ったことを覚えている。

 はじめて二人で出かけたのはもちろん映画だ。どちらから誘ったのかは覚えてな
いけど、たぶん僕なんだろう。渋谷パンテオン。もう今では存在しない映画館だ。
僕らはポップコーンを食べ、ひとつのコーラを回し飲みした。びっくりするくらい退屈
な映画――マイケル・J・フォックス主演の「ドク・ハリウッド」――だったが、もうこの
ときには二人でいれば楽しかった。帰りがけに彼女は、「つまらない映画だったか
ら、また別の映画を一緒に観にいこう」というようなことを言った。退屈な映画でむし
ろ大成功。マイケル・J・フォックスとかいう人に感謝を。それから、僕らは何度となく
二人で映画を観にいくようになる。

 僕にはずっと気にかかっていることがあった。そう、あの「いかにも」発言だ。それ
はずいぶんと僕を悩ませたし、僕にとってはナスカの地上絵に匹敵するくらいのミス
テリーだった。謎は解かれるためにある。そろそろ明かされるべきだと思った僕は、
街を歩きながらこんな感じで彼女に質問する。

「あのさ」
「なに?」
「前に、俺にいかにもって言ったの覚えてる?」
「いかにも?」
「そう。正確には、duzzくんってさ、いかにもって感じだよね」
「なんの話?」
「だからその話」
「私、そんなこと言った?」
「言った」
「ごめん、ぜんぜん覚えてない」

 無駄に苦悩していた男発見。覚えてなかったらしい。というより、そのときの僕は
彼女にとってどうでもいい存在だった恐れもある。確かに僕も、「3週間前の月曜日、
なにしてた?」って誰かに訊かれても答えられないだろう。そんなどうでもいい月曜
日のことなんて知ったことかって話だ。覚えてるかぎりでは、あれは少なくとも褒め
言葉ではなかったと思う。彼女は気をつかって忘れたふりをしてくれていたのかもし
れない。どっちにしても、もうこの謎が解かれることはないわけだ。たぶん永久に。

 紅葉が落ちはじめ、季節は間もなく冬を迎えようとする頃には、僕の恋愛指数はゲ
ージを越えつつあった。物事には限界がある。僕がそれに気づいたのは風呂場だっ
た。浴槽に体を沈めて、ちっとも外が見えない曇り硝子の窓を眺めながら、ついに来
るべきときが来たなと思っていた。僕はすでにどうしようもないくらい彼女が好きだっ
た。「このまま黙っていて、ほかの誰かに彼女を奪われるわけにはいかない」などと
思ったのを覚えている。いまは亡き僕の積極性。情熱的な男だ。微笑ましくさえある。
問題は、僕がそれまで告白と呼ばれるものを一度もしたことがないことだった。

 当然のことながら、それにはずいぶん時間がかかった。夜も更けはじめた西新宿、
よく整備された通り。連なる街灯の下で僕と彼女は並んで座っていた。偶然にも、こ
こは今の僕の職場から10分もかからないところにある。僕らは何度も「寒いよね」など
と言い合った。僕は最初の言葉を見つけられず、ときおり沈黙が辺りを支配した。目
の前に見えるワシントンホテルでは、いくつもの窓が夜に向けて淡い光を放っていた。
「いや、もうこの沈黙でわかるよね?」と言いたいところだったが、彼女は言葉にして
僕に言わせたいようだった。終いには二人とも笑い出した。たぶん沈黙に耐え切れな
かったんだと思う。そのあと、僕は自分の気持ちを言葉にして彼女に伝えた。僕の発
言に対して、彼女は笑顔で「はい。私も」と答えた。簡潔なものではあったが、それは
それで素敵な返事だった。

 そのようにして僕らは恋人になった。まあ、なんていうか、そのとき僕はとても幸せ
だった。この世の中に絶対はないし、先のことは誰にもわからない。が、残念ながら
今の僕は知っている。この幸せそうな若者が、いずれ彼女を失うことを。


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April 24, 2005

ある個人史の記録


 遠い昔の恋の話。

 それはおそらく僕の人柄を変えるほどの出来事で、僕という人物の個人史において
は歴史的失恋と呼んでもいいほどのものだった。ここ数年、そんなことなんてすっかり
忘れてたけど。先日、カメダさんと二人で友人の芝居を観に行った。その帰りに食事
をしたとき、音楽の話をしているうちになぜか恋愛的な話題になり、僕はその恋を思
い出したというわけだ。やけに鮮明に。ネタのひとつにもなりそうなので、ここで振り
返ってみようと思う。


 1991年のことだ。GUNS N'ROSESがやたら長い2枚のアルバムをリリースした年。
当時、僕は18歳で売り出し中だった。何を売り出していたのかはよくわからない。と
くにアピールできるものはなかったが、根拠のない自信に溢れ、見渡すかぎり世界は
僕のものだったし、まだ夢も野望もなかったけど、その気になればどんなことだってで
きると思っていた。懐かしき1991年。人々はまだITなんて言葉をまるで知らず、携帯
もパソコンも普及していなかったから、コミュニケーションは主に言葉と肌を通して伝え
られていた。恋人たちは約束だけを信じて街角で待っていた。これは、そういう時代の
話だ。

 簡単に当時の僕を説明しておこう。まあ、なんていうかひどく若かった。イキがってい
たと言っても過言ではない。髪質がストレートだったように、態度もストレートだった。女
の子を「おまえさ~」とか普通に呼んでたし、機嫌が悪ければ「うるせえな、黙ってろ」
などとも言える男だった。ついでに補足事項を入れておけば、当時の僕は短気で有名
だったりもした。いや、マジでね。僕にもそんな年頃があった。

 僕とその彼女は映画館で出会った。映画を観ていて偶然に、というわけじゃない。
僕は当時、映画館で働いていたので。その映画館は大雑把に説明すると二つあって、
片方が僕の所属する映画館で、もう片方が彼女の所属する映画館だった。その夏、
たぶん「ターミーネーター2」のヒットのおかげだと思われるが、僕はヘルプとして彼女
の働く映画館に借り出されることになる。運のいいレンタル移籍。シュワルツネッガー
とかいう人に感謝を。そこで、僕は彼女を目にするわけだ。

 彼女は場内の売店の中にいた。制服は上下とも紺のブレザーにスカート。低い天井
の照明を浴びて、彼女は職場の仲間たちと話をしているところだった。一見、冷たそう
に見えるけど彼女はよく笑った。誰かが何かを言うたびに笑うという意味ではなく、笑
うときは声を上げて思いっきり笑う女の子。お世辞にも控えめなタイプではなかったと
思う。それでも、若かりし僕の恋愛センサーは瞬時に彼女を捉えていた。はっきり言っ
てほかの女の子たちはどうでもよかった。そいつはエマージェンシー的な状況だったし、
下手すると興奮しすぎて「火事デス、火事デス」とか間違った警報を発していた恐れも
ある。

 そんなわけで、見たところ彼女は疑いようもなく僕の好みの女の子だった。結局は
見た目なのか、という反論は甘んじて受け入れよう。なぜなら僕は彼女の容姿とその
たたずまいがとても好きだったので。白い指がパンフレットに触れている。俯いた横顔
に、後ろで束ねられた髪。ほっそりとした腰。足は膝から「く」の字に曲げられていて、
革靴の爪先が床に向けられている。ショーケースの前で、パンフレットの数を数えてい
たときの彼女の姿だ。よく覚えてるもんだな、こういうのって。当時の僕はそのくらい夢
中で彼女を眺めていたのかもしれない。 
 
 人は恋をすると途端に情報収集家になる。僕はさりげなく彼女の情報を集めた。彼
女は20歳で、僕より2つ年上だった。京王線で職場に通っていて、音楽はGUNS N'RO
SESがお気に入りらしかった。そして、噂を信じるのであれば彼女に恋人はいないよう
だった。僕がその噂を信じたがっていたのは言うまでもない。今にして思えばたったの
2つの差であるのに、「やばい。敵はすげえ大人だ」とか僕は思っていた。僕は密かに
接近の機会を計っていた。ある日、それは訪れる。レンタル先の同僚に誘われて飲み
に行ってみると、そこに彼女がいた。

 忘れもしない、場所は新宿ラインゴールド。彼女を目にした僕は再びエマージェンシ
ー的な状況に陥っていたし、「黄金を抱いて飛べ!」とか意味不明なことを言い出しそ
うなくらい舞い上がっていた。なぜなら、僕の向かいには彼女が座っていたので。それ
は、今まで僕が彼女を眺めてきた距離ではなかった。彼女の睫毛まではっきり見えた。
その瞳も。ボクサーに例えるなら、足を使って距離をとるアウトボクサーが、いきなりイ
ンファイトを挑まれるようなものだ。ふいに訪れた接近戦。そう、こいつは僕の得意とす
る距離じゃない。近い、近すぎると僕は思っていた。
 構成は僕と彼女を含め、男二人と女二人だった。自分がこのとき何を話したのかま
ったく覚えていない。ただ、会話の途中で彼女が僕に言ったひとことは、今でもはっき
り覚えている。彼女は僕のことをこんなふうに評した。

「duzzくんってさ、いかにもって感じだよね」
「いかにも? なにが?」
「べつに。なんとなく」

 そう言って彼女は笑みを浮かべた。暗号化された謎の言葉と遭遇。この発言は、
その後の僕をひどく悩ませることになる。イガラシ式恋愛ロジックくらいの勢いで。い
かにもってなんだ? いかにも売り出し中? あるいはいかにもクレイジーの息子な
のか? さっぱりわからなかった。その日、もちろん僕は彼女の家の電話番号を聞
けなかったし、謎の言葉は謎のまま、時間だけが過ぎていった。


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January 07, 2005

男と女、再び


 人ってのは何歳になっても恋をする生き物らしい。時代はめぐり、近年は余裕で
中性派の方々もいらっしゃるが、世の中には基本的には男と女しかいない。どう
にもこうにもお互い惹かれあうように創られているというわけだ。破滅的な恋をした
伝説の恋人たち。ボニー&クライド、シド&ナンシー、ジム・モリソンとパメラ、アダ
ムとイブ(芸人)。

 女の目から見た男の魅力というものを僕は知らない。でも、男から見た女の魅力
ならよくわかる。一応、長いこと男として生きたきたので。冷たい手の感触、物憂げ
な横顔、冬のストール姿、街で交わした一瞬の視線、艶やかな髪、人混みの中の
笑顔、本のページをめくる指先、話すに話しかけられないその距離、ほかの相手と
話ながらもお互いを察知している気配、見上げた瞳、微笑む口元、心を許した者だ
けに見せる表情。あるいは、彼女という存在そのもの。
 
  イガラシさんの恋について語る。
 
  彼はもう恋などしないと思っていた。37歳、人並み以上の数の女たちと付き合
ってきた。いまさら簡単に人を好きになったりはしない。ましてや16歳も年下の女
など。その日――まだ僕がイガラシさんという人物の存在を知らないとき――彼と
彼女は出会った。

 最初の出会いから、彼女が自分の方を見ていると感じていた。その視線が意味す
るところはわからない。それが彼を戸惑わせた。複数の人物を通して、いわばグル
ープとして、しだいに二人の距離は縮まっていった。彼女には少しずれたところがあ
った。真っ白な紙に線を引く。手にしたパステルカラーのクレパスから、混じりけのな
い原色が溢れ出していく。まっすぐのようでどこか曲がって見える線。あるいはまっ
すぐだからこそ、どこか歪んで思える直線。彼女はそういう女の子だった。
  
 人はある程度の年齢になると、自分の感情をコントロールできるようになる。彼は
無意識的にブレーキをかけていた。16歳という年の差、自分の社会的現状、そし
てなによりも「俺がこんなガキを好きになるわけがない」と。イガラシさんはこのとき
まだ気付いていなかった。そう思っている時点で、すでに彼女に恋をしているという
ことに。

 彼が素直に自分の気持ちを認めたのはいつだろう? 彼女への想いに気付いた
彼は、今度は意図的にブレーキを踏み続けた。自分をなだめすかし、言い聞かせ、
ときには彼女から目を背けた。それでも脳裏にはいつでも彼女の残像が残った。い
るはずのない場所でも彼女の姿を探しはじめた。その日、彼女と交わした会話を頭
の中でくり返すようになった。恋愛の力学は彼を離さなかった。走り出したものは、
もう止まらない。

 告白は暴走というかたちを伴っていた。彼女とのメールのやりとりの中で。普通に
考えれば、そこは挨拶程度のメールを送るべきタイミングだった。彼女にとっては不
意に訪れた電子的恋文。時計の針は進まず、彼女からの返事はこない。イガラシ
さんはひどく落ち込んだ。食事が喉を通らなくなり、立っていることも座っていること
も寝ることもできない状態に陥った。状況的に見れば、彼女は彼を受け入れることを
拒んだように思えた。

 ある日、テラスでひとりで食事をする彼女を見つけた。イガラシさんは和解と心の
平穏を求めていた。彼女を得ることができなくても、以前の関係を取り戻したかった。
決意して彼は彼女の元へ話しにいった。二人は率直に話し合う。彼女は彼を友人
以上に見ることはできないと言った。それでもイガラシさんは幸せだった。そこには
以前より親密な空気が生まれつつあったから。恋愛には迷えるポジションが存在す
る。端的に示すことができない微妙な位置。それは常に揺れ動き、一定の場所に
留まることがない。友人と恋人のあいだ。特別な異性。恋人として受け入れることが
できなくても、ほかの人には渡したくない存在。

 イガラシさんは彼女にとってのそうした存在にたどり着いた。第三者から判断する
かぎりでは、彼女もまたブレーキをかけているように思えた。それが恋以外のなに
ものでもないことに気付くのは、たいてい相手を失ってからだ。あるいはあとで後悔
することがわかっていても、先に進むことができない理性があるのかもしれない。
そういうものだ。
 
 二人はこの一週間、顔を合わせていなければメールもしていない。どちらかが動か
ないかぎり、再び実際に会って話すことはないだろう。時間は記憶や印象を薄めさせ
る。二人の関係が時間という概念に勝るのかどうか、僕にはわからない。イガラシさ
んは話しの締めくくりに、彼女への想いをこんな言葉で称した。

「トゥルー・ラブですわ」

 思いっきり関西弁。シリアスタッチをぶち壊してくれてありがとう。


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